2023年04月24日

山林火災からの脱出

今年の沢はじめは、山火事に巻き込まれて脱出するという、やや珍しい経験をしたので、どなたかの参考になることを願って、以下記録です。(長文)

1 火災遭遇とエスケープルート案立案
遭遇は、下山時、メンバーは、夫(L)、野島、新人、ルートは、片品川水系泙川小田倉沢遡行、津室沢下降であった。

津室沢の下降を終え、三重泉沢に入って盛大に休憩してから林道に上がるが、とたんに、焦げ臭く、けぶる。畑焼か、でもここから畑はかなり遠いが。。。。などと話しながら行くと、どんどん白さと臭さが増していく。これは山火事では、と歩を進めると、下(泙川本流付近)からもくもくと煙が上がっているのが見え、しだいに、山肌にも炎が見え始め、これは林道を通過できないのではと案じながらさらに急ぐと、予想通り、林道は一面に燃えており、炎はじわじわと我々の足元に向かってきていた。13時30分。

さて、どうするか。携帯は入らない。

既述のとおり、下方に一か所、激しく煙が出ているところが見える、枝沢と本流とが合流する地点で、火元はそこと推定された。そこから火が山肌を上がり、林道に達し、さらに林道の上の山肌まで燃え広がっている、落石が激しい。
しかし、目を凝らせば、枝沢を超えた向こうの尾根筋からは煙は上がっておらず、炎は、この枝沢を超えた尾根筋まではまだ達していないようであった。つまり、この時点では、林道を含めた山肌が燃えている箇所は、水平距離にして200mほどで、これを何とかして巻ければ、火のない林道に戻れると考えられた。

そこで、泙川本流に下降し、本流を下降してこの火災地帯をやり過ごし、どこかから林道に復帰できないかと考え、本流右岸1187峰の東側からひら川本流に向かって伸びる尾根から本流に下降し、本流を下り、標高960地点から入る枝沢(1187峰と1245峰の間を流れる沢)を遡行して林道に戻る計画を立てた。そこはまだ燃えていないだろうと想像したのだ。ただ、火は刻々と燃え広がっており、急がなければ、林道復帰予定地点にも火が到達することは容易に想像できた。

懸念点は、①泙川本流は水量多く、渡渉を交えるであろう下降に難がないか、②目指す枝沢の遡行があんま、容易じゃなさそう。。。という2点であった。が、それ以外に林道復帰できそうなポイントも地図上には見当たらず、これをトライするよりほかにない。

2 エスケープの実行


ただちに林道を引き返し、緩いところから泙川本流に向け、下降する。懸垂して本流に降り立ち、下降を開始する。巨岩がごろごろするが技術的な困難はなく、案じた渡渉もさほどではなかった。
この途中で火元と思われる地点に遭遇した。1187峰は、南尾根と東尾根をもって泙川本流に達するのだが、ちょうどその二つの尾根間を流れる枝沢の真下から、勢いよく火が上がっており、焚火らしき形跡もあり、そして、河原には失火者と思われる足跡があった。罵りながらそれを通過し、渡渉を繰り返すことしばらく、ようやく目指す復帰用の枝沢を発見する。

うん。これかよ。というご渓相だが、やむを得ない。意を決し、遡行開始。少し上がると、50mほどの滝に遭遇し、ちょっと登れそうにない。滝の右手の泥壁を登れば、その上に岩は見えるが、短く、このルートの方が可能性、ありそう。
この岩さえ超えればこの上に困難はなく、林道に戻れる、まだ炎が来ていなければ、これで帰れる。と思った。そしてこの地点では、きな臭さも、煙もなく、まだ林道に炎は来ていないと思ったのだ。


1ピッチ目、泥壁50mいっぱい、野島リード。支点は二か所灌木でとれるのみ、上部2mはかなり立っており、緊張するが、身中にあるありったけの泥壁愛をかき集め、岩の真下まで登ってピッチを切る。岩は、ちょいハングってるが、ショルダーならなんとかなりそう。フォローを引き上げる。
2ピッチ目、夫リード、空身で、夫が見事にハンマー投げを決めてかけたシュリンゲにA0して突破、その上もちょい難しいが、確実なクライミングで越えてくれた。30mほどで切り、新人を上げ、野島が夫とザックとともに上がる。


3ピッチ目泥壁50mいっぱい、野島リード。この泥壁は極めて野島の好みに合っており、支点はほぼ取れず、墜ちたら死ぬだろうが、墜ちる気はしないし、ともかく急がなければ、炎が来る。50mいっぱい伸ばす。
そこまでくると、あとは緩い。一か所いやらしいトラバースがあり、念のためザイルを出し(4ピッチ目)夫リード、ザイルを固定し、新人を上げ、野島ラスト、二人に先に行ってもらい、私はザイルをしまって、後を追う。標高差は20mほどしかないはずだが、これが本当に長く思われた。
そしてやっと林道が見えた、とたんに、煙が目に入る。


林道が燃えているのだ、ああ、遅かったか、もう炎が来てしまったか、と絶望しかけたが、ともかく全力で走って林道に飛び出す、見ると、炎が来ているのは、まさに私が飛び出したところの1m手前までで、ギリギリ、そこから先は燃えておらず、炎のわきで夫が待ってくれていた。
新人を先に走らせ、二人で足早に奈良の集落に向かって林道を急ぐが、なんと、また手前に炎が見えるではないか。


ここで初めて分かったのだが、当たり前なのだが火は林道伝いにきているとは限らない。今我々が歩いている林道は燃えていないが、炎は、1187峰南尾根の山肌を伝って燃え広がり、その火が下の林道に回ってきて、我々の行く手を燃やしているのであった。

が、幸い、この炎は、まだ林道全面に燃え広がっていなかった。林道の4分の3ほど、落ち葉や枯れ枝が堆積している部分は燃えているが、左端、コンクリートが露出している4分の1は燃えていない、そこを駆け抜けてことなきを得る。
その先は、もう、炎はない。トンネルをくぐり、地形図上981の記載のある個所に至ると、消防がどっさり来ている、誰かが通報したらしい。新人がここで質問攻めにあって困っていたため、私が警察官と消防士に状況を手短に説明すると、彼らは状況を理解して、続々と山に向かってく。17時40分。あとを消防に託し、肩の荷を下ろし、車にたどり着いた。
1330から飲まず食わずの行動、ようやく緊張が解けてのどの渇きを覚え、沢靴のまま車に乗り込んで、コンビニに向かった。


3 教訓


正直、山火事で下山不能になるって想定はしたことがなかったのだが、生じ得るのだ。恐ろしい。
火は、思ったより早く回る。迅速な決断と行動が必須である。
また、今回は火事遭遇時刻1330であり、日暮れまでに時間があったため、本流に降り立って火事を回避して登りなおす、という選択肢を取りえた。これが1時間遅くなっていたら、ヘッデンで泥壁を登ることになっていた。余裕を持った計画大事。
そして、パートナー大事。こういう時に、短時間の協議で意思疎通でき、相手の判断とクライミング能力を信頼して行動できるパートナーというのは全くありがたいものである。
最後に、泥壁大事。こういう時、泥壁が登れなかったら即アウトである。泥壁を愛せよ。我が国のヤマにおいては、泥壁登りは必須なのである。


  


2023年04月11日

婚姻と交際と判断要素

非常に長いこと知っている、とある、尊敬する男性の友人に、先日来、交際する女性ができた、ということで、もう、さんざん冷やかしてきているのですが、

彼は、私の大学の先輩でもあり、また中小企業の経営者としても先輩であり、教養の深さにかけては類を見ず、非常に誠実、かつ礼儀正しい男性で、私は、彼ならどのような女性にも胸を張っておすすめできる、と思うのですが、

しかし、交際するというのと婚姻するというのとでは、その判断に際し、また、いろいろ考慮要素が違ってくるものです。
これは当たり前で、交際と婚姻とでは、その決断の結果生じる効果が全く違ってくるのですから、判断要素も変わってきて当然です。
好きだ、好きだ、だけでは婚姻はできないし、すべきでもない。

婚姻する、ってことは、その後、お互いに全力を尽くして、何が何でも、二人の家庭を守っていく、ということなので、ただ、誠実なだけではなく、世の中を渡っていける強さというか、度胸というか、世間知というか、あくどさ、というものが、どうしても不可欠になってきます。

まあ、私ほど、度胸とあくどさに満ちた人間もなかなかいまい(?)と私は自負しているので、私ほど、あくどくなくてもいいとは思いますが、やっぱ素直と正直だけでは厳しい。少なくとも夫婦のうちどちらか一方には、ある程度の性格的な強さ、抜け目なさ、は必要になりますよね。

彼は、まれにみる誠実な人間(社長業には向かないのではないかと、心配になってしまうほどです)ですが、あくどさというものとはほど遠い。ただ、長いこと会社を経営されているだけあって、性格的な強さもそこそこあり、世間知もお持ちです。なんで、そこは、とても良い要素であろうと、思います。

友人としては、彼に春が来たという、この稀に見る吉報は、飛び上がるほどうれしかったのですが、まあ、生暖かく、あまり期待しすぎず、みまもろうと思います。どっちに進むにしろ、彼ならうまくやるでしょう。そのセンスは、ある男です。

  


2023年04月06日

ルッキズム(?)

まあ、こんなことを書くのもアレかもしれませんが、
女性ブロガーだか、インフルエンサーだか、いろんなひとたちが、どう見てもあまりにもきれいに整形されていて、

その影響かどうかわかりませんが(まあ、そんなのが出てくる前からそうだったのかもしれませんが)、


女性のなかには、やれ整形だ、やれ化粧だ、あれはお肌に悪いこれもお肌に悪い(化粧が一番悪いんじゃないかと思いますが。。。)、と、もう、文字通り血眼になって美を追求するひとも、まあ、そこそこたくさんいるなかで、

一方で男性陣に対して、「容姿について言及するのはセクハラ!」「ルッキズム!」と、容姿について言われるのを拒否する、
というのは、これはまあ、男性陣からすれば「甚だ矛盾している。。。。」「どうしたらいいんだ。。。。」と思われても、仕方がない面があるんじゃないですかね。

そりゃ、まあ、「おっぱい大きいね」という発言が、性的嫌がらせなのはわかりますが、

今じゃ「きれいですね」とか「美人さんですね」というだけでもセクハラといわれますからね。

ただ、一方で、「ああ、あの子はかわいいからね」というのも、使い方によっては確かに性差別にはなるわけで、

なかなか、難しいものです。

まあ、気にするから難しいんで、気にしなきゃいいんじゃないかと思いますけどね、個人的には。気にしたって、仕方ないじゃないですか。

あなたの顔、そんなにみてるの、あなただけですからね。実はひとって、意外と、見てないもんなんですよ。他人の顔って。自分の顔しかみてないんで、みんな。

私は、20歳になったとき、25になったら化粧しようと思ってました。25になった時には、30歳になったら化粧しなきゃと思ってました。30歳になった時にも、35歳になった時こそ化粧しよう、、、、と、同じことを思い続けて、35過ぎたら開き直りました。

今更化粧したからってどうなるもんでもない。

いま、自分の顔を見ていると、しみじみ、自分の性格とか、生き方が顔に出ているなあ、と思います。それで充分です。満足ではないですし、この顔を好きでもないけれども、まあ、こんなもんだろうと思ってます。何やったって、これ以上にもこれ以下にも、ならんでしょうよ。

で、どんなに整形したって、やっぱ、何年か経てば、顔に出てきてますよ。あなたの、性格は。よかれ、悪しかれ。


  


2023年03月29日

ひとを支配したがる人ほど、ひとに支配される、という、よく見られる現象について。

ひとを支配したがるひと、というのが、います。

「●●してくれたら、××してあげるけど、してくれないなら、してあげない」というタイプです。よくあるのが、不倫などで、相手が別れようとすると、「戻ってきてくれないなら訴える。戻ってきてくれたら訴えない。」というひとです。こういう方はそこそこたくさんいます。

「訴えられるのは嫌だなあ、しょうがないから、この女にもうちょっと付き合ってやるかあ…」などと、相手が思って、しぶしぶ、いやいや戻ってきて嬉しいのだろうか、と思うとなかなかしみじみしますが、それでもいいから、まあ、相手を思い通りにしたい。支配したいのです。

「相手に、●●であることをわからせたい」「反省させたい」「反省しろ」というタイプもいます。

こういう方はよく弁護士に「相手に、お前がしていることは虐待だ/モラハラだ/犯罪だ/人非人だ・・・etcとつたえてください。」といいます。当然、弁護士からそういわれたら、相手が考えを改めるかもしれないと思っているのです。

ですが、弁護士に一言言われただけで、「え、おれって人非人なのか。それは、まずい、改めなきゃ」と思う人などまず、いませんよ。
誰かに指摘されて、考えを改められるような方は、弁護士が介入する前の段階で、もう、ちゃんと考えを改めてます。

なので、まあ、言っても無駄です。相手は変わりません。ですが、弁護士としては一応、お客さんに言われたら、言うだけは言います。一度は。(人非人、とはいいませんがね。ちょっとひどいんじゃないですか、くらいは言います)。

ただ、二度、三度、とは言いません。無駄だからです。相手は変えられないからです。我々は、他人を支配することはできません。

ところで、

ここからがとても不思議なことなのですが、

このように相手を支配したがる人、というのは、よくよく観察していると、めちゃくちゃ「他人に支配されている人」なんです。

つまり、相手の言うことにいちいち振り回され、いちいち反応し、あれこれ思い悩んだり、ああだこうだと奔走します。そんな必要、まったくないのに、です。

相手が何言おうと、言わせときゃいいじゃないですか。自分が、微動だにしなければ、それでいいんです。相手は、「自分が言えば、相手は反応する/振り回される」と思うからこそ、何か言ってくるわけです。完全無視を貫いていれば、そのうち、何も言わなくなります。

だから、ほっときましょう、と、弁護士サイドが何度言っても「言い返してほしい」「腹が立つ、訴えてやる」と言ったり、時には、家族やら警察やらまで巻き込んで大騒ぎをして、どんどんご自分がエネルギーを消耗し、感情的な行動をとることによって不利な方向に追い込まれていく、のですが、

実はこれこそ、相手の思うつぼ、相手が望むとおりに行動してしまっているわけです。

そして、この、「相手の思うつぼ」にはまるひと、つまり、相手に支配されてしまう人、というのは、なぜか不思議なことに、たいてい、ご自身が相手を支配しよう、と躍起になるタイプの方なのです。

これはとても不思議な、興味深い現象だとおもいます。

相手が何をいおうと何をしようと、自分は自分、というのがないひとというのは、だからこそ、相手に対する自分の影響力を確認することでしか、自分の力を認識できないのかもしれません。

誰があなたを訴えようと、誰があなたを悪く言おうと、誰かがどこかで反省しようとしまいと、誰かがあなたと別れようと別れまいと、あなたはあなたで、あなたを幸せにできるのはあなたしかいないのです。そんな、くだらないことに関係なく、ご自身の幸せに向かって、まい進していっていただきたいと思います。



  


2023年03月24日

不貞行為の相手として選んではならないタイプについて。

私が、長い弁護士人生、扱ってきたたくさんの不貞行為事件をつらつら振り返ってみるに、「不貞行為の相手として、絶対に選んではいけないタイプ」というのがいます。


まあ、そもそも不貞をしてよいのか、という問題はあります。そりゃ、しないに越したことはない。しかし、人間は弱いものなので、どうしても間違いを犯してしまう時があります。

過ちをおかしても、それが、なんとかカバーできてやり直せる過ちなのか、もうどうにもカバーできなくなる、人生を最悪まで落とし込んでしまう過ちなのか、ってのは、大きな違いです。

以下は、完全な私の私見ですが、

「絶対に不貞相手として選んではいけないタイプ」の第一位、は、

未成年者。

です。

我が国の地方公共団体の多くには18歳未満と性交を持つことを原則として禁じる、淫行防止条例、というものがあります(一応、真摯な恋愛関係にある場合は除外されることには、なってます)。
性交を持った当時は、18歳未満の異性と熱烈な恋愛関係にあっても、関係がこじれてから、「あれは恋愛関係ではなかった」と言われてしまえばおしまいです。淫行防止条例にひっかかって、逮捕、起訴される恐れがあります。そうなると、まあ、職場にも家族にも、最悪の方法でばれるわけです。
こうなるとたいていの場合、逮捕された方は、「いや、真摯な恋愛関係だったんだ!」と主張します。
しかし、「そのとき、確かに愛があった」というのは、立証が難しい。なので、未成年者とやっちゃいました、と言われると、我々弁護士には助けようがない、というケースが多いんです。これは、まあ、不貞だろうと不貞じゃなかろうと、めちゃめちゃ危険です。

「不貞行為の相手として、絶対に選んではいけないタイプ」第二位は、

性交の経験がない相手。

です。いわゆる、処女、童貞です。彼らは、異性との交際の仕方を知らないですし、別れ方も知らない。すべてが初めての経験なので、別れるときのショックも非常に大きく、別れるときに精神的に病んでしまったり、ストーカーのように、つきまとったりすることがあります。なので、非常に、非常に揉めます。場合によっては傷害事件などにも発展しかねません。

第三位は、

精神的に不安定要素を抱えている相手。

です。特に、現在、精神科や心療内科に通院しているとか、そういう相手は絶対に不貞行為の相手にしてはいけません。別れるときに恐ろしく揉めます。ですが、特に男性は、「悩みを抱えている」「もろい」「はかないような」女性を、なぜか不貞の相手に選んでしまう傾向があります。これは、よくありません。

どうしても不貞相手を選ばなければならないとき?(そんなときが本当にあるのかどうかは、疑問ですが。。。。。)は、「悩みを抱えている」「舞い散るさくらのようなはかなさのある」女性よりは、

煮ても焼いても食えないくらい、精神のぶっとい女性を選んでください。口説かれて「え~~~~」などとためらうのではなく、はいならはい、いやならいや、と明確に即答できるような女性です。まあ、そんなひとはそもそも不貞相手に選ばれても、断ってくる可能性の方が多いでしょうが。。。

と、まあ、つらつらかきましたが、そもそも、不貞をしないに越したことはありません。
不貞は、というか不貞の発覚は、家族を破壊し、何の罪もないお子さんをひどく苦しめます。
よく、不貞が発覚して離婚沙汰になった時に、「妻とはうまくいっていなかったが、子どものことは大事にしていた」などと口走る男性がいます(時々女性にもいます)。しかし、本当に子どものことを大事に思うのであれば、子どもを取り巻く環境、そのもっともたる母親(あるいは父親)、も大事にしないと、それは、子どものことを大事にしていることにはならないんです。

ですが、どーしても、どーしても、どーしても、間違ってしまう、なら、まだ、ましな間違い方をしてください。そのほうが、ご家族のためであり、ご自身のためであり、また、お相手のためでもあり、担当弁護士のためでもありますので。



  


2023年03月18日

御在所岳で遭難された女性ブロガーのブログについて

御在所岳で遭難した女性ブロガーが、救助に来てくれた警察官に対して文句を書き綴っているブログが、流れてきたので思わず見てしまいました。

見なければよかったです。気分がひどく悪くなります。
助けに来てくれた警察官の人間性を問題にする、そのあなたの人間性が、非常によく表れているブログで、本当に嫌な気持ちになりました。
こんなに嫌な気持ちになったのは久しぶりです。と、書くと、どれどれ、、、、、と調べる人も多いでしょうが、全力でお止めします。ガチで、いやな気持になります。

批判されることを承知で、、、と書いておられるので、若干遠慮しつつも、批判させていただきます。

ブログの最後に、御在所登山イラストマップというものを紹介し「必携です。山麓でも売ってます」と書いているのですが、

なら、遭難する前に買いなされ。イラストマップであろうとなかろうと、地図を持たずに山に入るという時点で、登山者の資格がありません。


しかし、登山者にはこういうひともいるのだ、というのが実情なのでしょう。

登山者は、完全に自分の趣味で危険な地域に入っていっているんです。重々、その危険性を理解し、万全を期するのは当然のことです。
それでも、だめだったら、助けを求める。というのが、遭難救助要請であるべきです。

この方は、非常に軽率です。遭難救助に文句を言う資格はないと思います。

ま、でも、いますよね、こういう方。弁護士に事件を頼んで、結果を出してもらっても、文句を言って金を払わない方も、いないわけではありません。

何事も他山の石、ということなのでしょう。
  


2023年03月10日

弁護士が、自己破産手続を辞任するとき、について

最近、自己破産のご相談が急に増えてきました。
そのなかでも、特に目立つのが、「一度、弁護士に依頼して自己破産の手続きを進めているんだけれども、弁護士が辞任してしまって…」という方です。
弁護士が、一度受けた事件を、自ら辞任する、ということは、めったにあることではありません。途中で辞めてしまうというのは、まあ、無責任と言えば、無責任ですからね。私も、もう長年この仕事をしてきましたが、私の方から「辞任します」「辞任させてください」といった事件は、たぶん二桁にも満たない数だと思います。

私が辞任を決断した事件の中で一番多かったのは、「依頼者と連絡が取れない」というケースです。
お客さんに電話しても出ていただけない、メールにも返信がない、郵便を送っても、お返事がない、となると、事件を進められません。

で、弁護士は事件を放置することはできないので、こうなると、もう辞めざるをえません。

ただ、「自己破産の途中で、弁護士がやめちゃって…」と言ってうちの事務所にいらっしゃる方の多くは、連絡途絶が理由で、弁護士に辞任されてしまったのではないようです。

皆さん、「偏波弁済(親族など、一部の債権者にだけ返済してしまうこと)をしてしまって…」「先生から、やったらだめだと言われていたギャンブルに、手を出してしまって…」「つい、カードを使ってしまって…」、それで、弁護士に、辞任されてしまった、などと仰います。

確かに、偏波弁済も、ギャンブルも、破産手続き中のカード利用や新たな借り入れも、いわゆる免責不許可事由に該当しえます。これがあると、免責が認められない、つまり、自己破産としては失敗してしまうから、だからもう辞任します、という弁護士側の話は、まあ、理屈は通っています。

ただし、です。免責不許可事由があるからと言って、必ず、免責が不許可になるわけではない。頑張れば、それなりに免責は取れます。
だから、いけないことをしたけれども、それだけで弁護士が辞任するほどのことか?というと、意外とそうでもないのです。

それなのに、なぜ、その弁護士は辞めてしまったのか?

思いつく理由のナンバー1は、ずばり、「着手金をきちんと入金してもらっていない」です。

破産のお客さんの多くは、着手金を分割で支払っています。その入金が滞ると、弁護士としては、率直に言うと、テンションだた下がりです。弁護士の方からしますと、毎回毎回、「入金してください」「まだですか?」と、督促するのも、相当の手間なのです。


まあ、そもそもお支払いいただけなくてテンションが下がっているところに、「すみません、パチンコにお金使っちゃいました」とかお客さんに言われると、まあ、もう辞任したくなる、という気持ちも分かります。


判りますが、私は、めったに辞任しません。

考えてもみてください。破産しちゃうほど、ギャンブルが好きだったり、買い物が好きな人ですよ。

弁護士ったって、しょせん赤の他人です。そんな人間に、ギャンブルや浪費をやめるように言われて、一発でやめられるようなお客さんなら、そこまでいってません。

とっくに、ギャンブルも浪費もやめているでしょうよ。

なので、私に言わせると、弁護士として自己破産手続を受任する以上、「ギャンブルやめてくださいね」「はい、やめます」とお客さんが約束してくれても、まあ、1回くらいは、約束破っちゃうかもしれないな、くらいの余裕をもっておくべきです。でないと、自己破産手続きなんか、できません。


それと、まあ、入金がないのは困りますが、しかし、金銭管理がきちんとできるひとなら、最初っから自己破産してません。金銭管理ができないから、自己破産になってるわけですよ。なのでそこも、ある程度腹をくくらないといけません。弁護士として、そういう人から依頼を受けるんですからね。
もちろん、お客さんに約束を破られたら、私は、がっかりしますし、きつく言ったりはします。入金していただけないと、テンション下がりますよ。

けど、それだけで放り出すわけにはいかん、というのが、私の、というかうちの事務所の考え方です。

現に、前の弁護士に辞任されたお客さんで、うちの事務所でお受けして、きちんと破産手続きを終え、免責ももらって、立派に人生、やり直している方もたくさんいます。

ですから、まあ、もし自己破産手続きの最中に、弁護士に辞任されちゃっても、絶望するには及びません。なんとかなります。ただし、何で辞任されちゃったのか、その原因については反省して、そういうことが今後ないように、なさってください。
  


2023年03月07日

頭がいいとか悪いとか

頭がいいとか悪いとか、賢いとか馬鹿だとか、

まあ、ひとはひとのことをいろいろ評価するもんです。

しかし、いったい、何をもって賢しとし、何をもって頭がいいとするのか。その判断基準は、人によって異なります。

場合によっては、どのような判断基準で、「賢さ」を判断するか、その基準自体が、判断するそのひとご自身を、判断する基準にもなるわけです。

まあ、わたしゃ、賢さや、「頭が良い」こと自体は、何の価値でもない、と思っとります。
賢くても使えない弁護士は、山ほどいます。

その賢さや、その頭の良さを、どのようなエネルギーをもって、何に使うか、が問題です。

逆にいうと賢さや、頭の良さ、というものは、正しい目的のために、ある程度大きな熱量をもって、使われなければ、価値があるどころか、飛んだ大迷惑です。

どんなに頭がいい弁護士でも、その頭の良さを、お客さんから金をむしり取る方向に使ったりすれば、その頭の良さは、何の役にも立ちません。

逆に、さして賢くない頭でも、お客さんのために一生懸命証拠を検討し、判例を探し、裁判所とかけあい、と、熱意を込めて使えば、まあ、なんとか、ひとさまのお役には立てるもんです。

だから、弁護士で大事なのは、事件に対する熱意、愛です。頭の良さは、二の次です。

そう、私は思っています。

時々、来所される方に、先生は東大なんですよねとか、若い時に受かってるんですよねとか、ちょっとこの業界のことを調べた方だと、旧試験組なんですよね、とか、おっしゃる方がいます。

そういっていただけるのは、ありがたいんですが、

しかし、それは、いまの、弁護士としての私の価値には、一切何の影響も及ぼさない、昔の話です。そんな話は、もう、賞味期限切れです。

大学受験の18歳の年に、どんなに頭がよかったって、いま、弁護士になった私の、訴訟の勝率には何の影響もありません。

ましてや、もう20年以上も前に頭がよかった、からといって、いま、目の前にあるこの事件に勝てる、ということにもなりません。

また、「東大出なんですよね。だから、強い弁護士なんですよね」とおっしゃる方もいますが、それは全然違います。頭が良いのと、強いのと、訴訟に勝てるのとは、全然違いますよ。

ただ、あるのは、事件への愛と熱意だけです。それは、大事なことだと私は思ってます。ただそれは、「強い」ということとはちょっと違います。いや、結構違います。

それでもともかく、弁護士の、やる気、ってのは、大事です。結果ってのは、熱意の総量ですからね。だから常に、熱意の塊でありたいと、思ってます。賢さよりも。  


2023年02月28日

復讐するは我にあり 我これに報いん

時々、

「こんなことが許されるんですか」
「これは罰せられないのですか」
「こんなことがまかり通るのはおかしい。ペナルティを与えなければ、何も変わらない」

とおっしゃる方がいます。

そういう方のおっしゃることは、もっともなこともあります。ですが、すべての「おかしなこと」や「悪いこと」が法律でさばききれるわけではありません。
世の中にゴマンとある、よくないこと、悪いこと、おかしいこと、のなかで、法律で何とかできることは、本当にごくごく一部です。

こういうときに、自分で、相手を罰しようとかペナルティを与えよう、与えなければ、と思っていると、泥沼になります。

私はキリスト教徒ではありませんが、聖書に書いてある、

「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』」

というのは全く正しいと、時々しみじみ思います。

悪いこと、おかしいことを裁くのは、究極的には、人間には限界があります。ただ、そういう悪いことをする人、おかしいことをする人は、おそらく巡り巡って、どこかで、何らかの罰をうけるものなのです。


聖書はこう続きます。


「もし汝の仇 飢えなば之に食はせ、渇かば之に飮ませよ、なんぢ斯するは熱き火を彼の頭に積むなり 悪に勝たるることなく、善をもて悪に勝て」

つまり、悪いことをされたとしても相手に復讐をするのではなく、相手が困っていたら助けてやりなさい、悪に対しては、善をもって勝ちなさい。というのです。

まあ、これができるのはよっぽどの人格者でしょうなあ。

ただ、何とかして相手に思い知らせてやろう、判らせてやろう、ペナルティを与えてやろう、とあがいて、憎んで、疲れ果てるよりは、「もう、許す」という善によって、悪に勝つ、という、手もあるのでしょう。

法律家にできることは、限界があります。我々、神様ではないので。 限界を超えたところにあることは、神様に任せるほか、ないのでしょう。


  


2023年02月27日

雷電海岸・ナイル川

久々に会心のクライミングだったので、ヤマの話題を書きたくなりました。

北海道、岩内町には、雷電海岸という場所があり、アイスクライミングのメッカになっています。氷はどれも4級以上で、層雲峡よりは難しいです。
やや、中級者向けでしょう。

今回は4日使いまして、1ルンゼ(一番簡単)、ナイル川(最難)、4ルンゼ、2ルンゼ、と登りました。3ルンゼを登らなかったのは、登らなかったというより登れなかったからです。あまりにも垂直すぎて、ナイル川で疲弊しはてた腕にはちょっと、無理。。。。

というわけで、今回会心だったのは、ナイル川を登れたことでした。

ナイル川は、120mのど垂直な氷です。

1ピッチ目、長い垂直です。ところどころ、きのこ雪的なものがあり、足がおけるのはいいのですが、きのこ雪に乗る前は当然ハングしているわけで、そのハングをのっこすのがやや怖い。スクリューを決めながらえいやっとのっこします。

2ピッチ目、傾斜が落ちます。が、出だしのトラバースが怖い。ちょっとハングした氷の下を身をかがめてトラバースするのですが、これは、うむ、という感じがします。

3ピッチ目、出だし垂直、あとは傾斜が落ちます。最初の垂直はほんの3mほどですが、疲れた体にはこたえます。一回、氷が割れて、50センチくらい落ちちゃいましたが、気を取り直して登りなおしまして、完登しました。

まあ、長い。長いですが、充実感があります。とてもよい氷でした。久々に満足なクライミングでした。


あと、泊りは、「高島旅館」さんにお世話になりました。とてもいい宿です。アワビがこれでもかというくらい出てきます。温泉もいいし、おすすめです。高島旅館さん、いろいろありがとうございました。