2023年03月07日

頭がいいとか悪いとか

頭がいいとか悪いとか、賢いとか馬鹿だとか、

まあ、ひとはひとのことをいろいろ評価するもんです。

しかし、いったい、何をもって賢しとし、何をもって頭がいいとするのか。その判断基準は、人によって異なります。

場合によっては、どのような判断基準で、「賢さ」を判断するか、その基準自体が、判断するそのひとご自身を、判断する基準にもなるわけです。

まあ、わたしゃ、賢さや、「頭が良い」こと自体は、何の価値でもない、と思っとります。
賢くても使えない弁護士は、山ほどいます。

その賢さや、その頭の良さを、どのようなエネルギーをもって、何に使うか、が問題です。

逆にいうと賢さや、頭の良さ、というものは、正しい目的のために、ある程度大きな熱量をもって、使われなければ、価値があるどころか、飛んだ大迷惑です。

どんなに頭がいい弁護士でも、その頭の良さを、お客さんから金をむしり取る方向に使ったりすれば、その頭の良さは、何の役にも立ちません。

逆に、さして賢くない頭でも、お客さんのために一生懸命証拠を検討し、判例を探し、裁判所とかけあい、と、熱意を込めて使えば、まあ、なんとか、ひとさまのお役には立てるもんです。

だから、弁護士で大事なのは、事件に対する熱意、愛です。頭の良さは、二の次です。

そう、私は思っています。

時々、来所される方に、先生は東大なんですよねとか、若い時に受かってるんですよねとか、ちょっとこの業界のことを調べた方だと、旧試験組なんですよね、とか、おっしゃる方がいます。

そういっていただけるのは、ありがたいんですが、

しかし、それは、いまの、弁護士としての私の価値には、一切何の影響も及ぼさない、昔の話です。そんな話は、もう、賞味期限切れです。

大学受験の18歳の年に、どんなに頭がよかったって、いま、弁護士になった私の、訴訟の勝率には何の影響もありません。

ましてや、もう20年以上も前に頭がよかった、からといって、いま、目の前にあるこの事件に勝てる、ということにもなりません。

また、「東大出なんですよね。だから、強い弁護士なんですよね」とおっしゃる方もいますが、それは全然違います。頭が良いのと、強いのと、訴訟に勝てるのとは、全然違いますよ。

ただ、あるのは、事件への愛と熱意だけです。それは、大事なことだと私は思ってます。ただそれは、「強い」ということとはちょっと違います。いや、結構違います。

それでもともかく、弁護士の、やる気、ってのは、大事です。結果ってのは、熱意の総量ですからね。だから常に、熱意の塊でありたいと、思ってます。賢さよりも。