2023年02月28日

復讐するは我にあり 我これに報いん

時々、

「こんなことが許されるんですか」
「これは罰せられないのですか」
「こんなことがまかり通るのはおかしい。ペナルティを与えなければ、何も変わらない」

とおっしゃる方がいます。

そういう方のおっしゃることは、もっともなこともあります。ですが、すべての「おかしなこと」や「悪いこと」が法律でさばききれるわけではありません。
世の中にゴマンとある、よくないこと、悪いこと、おかしいこと、のなかで、法律で何とかできることは、本当にごくごく一部です。

こういうときに、自分で、相手を罰しようとかペナルティを与えよう、与えなければ、と思っていると、泥沼になります。

私はキリスト教徒ではありませんが、聖書に書いてある、

「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』」

というのは全く正しいと、時々しみじみ思います。

悪いこと、おかしいことを裁くのは、究極的には、人間には限界があります。ただ、そういう悪いことをする人、おかしいことをする人は、おそらく巡り巡って、どこかで、何らかの罰をうけるものなのです。


聖書はこう続きます。


「もし汝の仇 飢えなば之に食はせ、渇かば之に飮ませよ、なんぢ斯するは熱き火を彼の頭に積むなり 悪に勝たるることなく、善をもて悪に勝て」

つまり、悪いことをされたとしても相手に復讐をするのではなく、相手が困っていたら助けてやりなさい、悪に対しては、善をもって勝ちなさい。というのです。

まあ、これができるのはよっぽどの人格者でしょうなあ。

ただ、何とかして相手に思い知らせてやろう、判らせてやろう、ペナルティを与えてやろう、とあがいて、憎んで、疲れ果てるよりは、「もう、許す」という善によって、悪に勝つ、という、手もあるのでしょう。

法律家にできることは、限界があります。我々、神様ではないので。 限界を超えたところにあることは、神様に任せるほか、ないのでしょう。