2021年05月18日

車と婚姻関係のメンテナンス

私の車が、走行15万キロを超えました。
私は車というものはさっぱりわからないので、車検以外のメンテナンスはしません。
よく男性の友人には「エンジンオイルがなんとか」とか、「なんとかがなんとかだからなんとかした方がいい」と言われるのですが、そもそもそれが何を指しているのか判らないので、ふーん。。。と思うほかないのです。

一般論として、男性のほうが、車のメンテナンスに興味があるようにおもいます。

が、これまた一般論ですが、多くの男性は、婚姻関係のメンテナンスに興味がない。

車は、洗車して、あれして、これして、とやります。やらないで、故障したら高くつく。やったほうが、気持ちよく走れる。

しかし、婚姻関係の方が、故障したら、倍以上高くつきます。そして、メンテナンスしたほうが、はるかに気持ちよく生活できる。

なので、婚姻関係のメンテナンスは絶対に意識的にすべきです。

車は、ほっておいても、家出したり、ほかの持ち主のところに行ってしまおう、とか、思いません。しかし配偶者は、気が付いたらいなくなっているかもしれません。

もっともこれは契約関係一般に言えることで、たとえば労働契約や業務委託契約や、長期にわたる契約は、しっぱなし、ではなく、常日頃から愛情を注いで、注意を払って、手入れしていくことでうまく進みます。婚姻契約のみのことではありません。

そして、こと婚姻関係がうまくいかなくなるとかなり高い確率で、仕事にも支障が生じます。人間、プライベートが幸せなら、多少、仕事がうまくいってなくてもそこそこやっていけるものですが、その逆、つまり、プライベートが不幸な場合、仕事がちょっとうまくいっても、十分に喜びを感じられないものです。

男性はよく、離婚やらなにやらのトラブルに巻き込まれると、仕事に支障が出る。と嘆きます。

で、あれば、婚姻関係のメンテナンスは、もはや業務の一環です。そう思って意識的に取り組んでください。「妻の存在は空気のようなもの」では困るのです。

そして、車のメンテナンスを一切しない私でも、一応、車のことは愛してます。いつも、どんな悪路でも、文句ひとつ言うことなく、黙って一緒に走ってくれました。疲れてヤマから帰るときには、泥だらけの身体でも、温かく迎えてくれました。ウチの車には、感謝してます。

でも、その愛情と感謝をどう表現したらいいのか判らんのですよね。ともあれ、そろそろ車検なので、また、車屋に連れて行こうとは思います。




  


2021年05月17日

本のタイトルと、自分の頭で考える。ということ。

ずいぶん書かなかったのですがひょんなことから、一応これを読んでくれている方がいると知ったので、ボチボチ再開しようと思います。

いわゆるビジネス本やら、健康本やらのタイトルで、~したいなら○○しなさい、~なら○○をやめなさい、ってアレ、ありますよね。最近非常に目につきます。

わたしゃ、どうしてああいうタイトルの本を買おうと思う方がいるのか、全く理解できません。

あの上から目線。あれを黙ってほいほい聞く、どころか、その上から目線の指示を嬉々として買い求め、おそらく、反証検証や裏どりもしないでそのままに受け入れるのでしょうか。
想像ですが、ひとさまのいうことについて、反証検証や裏どりをしようと思う人間は、そうそう簡単に、それ系の本を手にしないでしょう。

こういうタイトルを目にするたびに、うるせえ、自分のケツを洗おうが洗うまいが、自分の足の爪を切ろうが切るまいが、自分のふくらはぎをどうしようが、下着をどうしようが、あんたに指示される必要はない。ほっておいてくれ。自分で決めるわ。すくなくともわたしゃ自分のケツをどうするかを決めるためにあんたの指示はいらないし、あんたに金を落とす必要も感じないわ。

と、反発しか感じないのはわたしだけ、、、でしょうか。ちなみに私はカップヌードルを作るのに、タレを後入れとか先入れとかいちいち指示が書いてある、あれにさえ反発を感じます。自分のカネで買って、自分が作って、自分が食うんじゃ。すべてのリスクを私が取るのに、なぜいちいち作り方を指示されねばならぬのか。カップヌードルくらい、好きに食わせてくれ。

しかし、まあ、人間、何らかの指示が欲しい。そういうものなのでしょう。
嘗て封建制度強かりし頃、束縛が多かった時代には、人間は自由を求めてきました。そして封建制度やら家父長制やら身分制やら、何やらを打破してしまった今、自由が、我々には、重すぎる。

なんらかの「指示」「他己決定」によりかかりたくてたまらない。それはある意味、責任転嫁したくてたまらない、という心理にも通じるもので、昔から言われる「自由からの逃走」ってやつなんでしょう。


が、自分のケツを洗うかどうかさえ自分で決められない人間たちが、「民主主義」で、自分たちの命運を決定せよ、と言われて、できますかね。できるわけないと思うんですがね。

だから私は、この、民主主義を無条件に礼賛し、「良いもの」とする風潮にははなはだ賛成いたしかねます。他の制度に比べてマシってだけで、これを積極的に正義だー、のように謳うのは、どうかと思う。「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」というチャーチルの言葉は、いま、もう一度しっかりと噛みしめられるべきです。

まず、自分のケツをどうするか、自分の頭で考えましょう。洗うのか洗わんのか。
今日一日をどう生きるか、自分の人生にどう責任を取るか、まず、それを。誰のせいでもない人生をどう生きるのか、それを。
民主主義は、それからです。  


2020年10月12日

離婚できなければ結婚もできない?

近時、また、皇室の結婚問題が頻繁に報道に出てきます。
持参金など、カネの動く問題でもあるので、慎重に考えなければいけないのだろうとは思いますが、
きわめて個人的に、
私は当初、まあ、若い二人なんだし、したいっていうんなら結婚させれば?ダメだったら離婚すればいいじゃない。みんなそうしてるんだし。。。
と考えていました。しかし、はたと思い当たったのですが、この方々は「ダメだったら離婚すればいい」わけではないのですよね。

就職なら、「無理だったら転職すればいいや」と思えるし、ヤマなら「無理なら引き返そう」と思える。
まあ、普通なら結婚だって、駄目なら離婚すればいいんです。英王室なんていっぱい離婚してるし、離婚なんて別に、天変地異でもなんでもない。ちょっとした方向転換にすぎません。

ところが我が国の皇室は「だめなら離婚すればいい」という発想がない。たぶん国民も皇室の離婚をなかなか許さないだろう。

となると、まあ、そうそう簡単に結婚もできませんよね。

「妹よ」という歌の中で「どうしてもだめだったら帰っておいで 妹よ」というのがありますが、兄がそう歌ってくれるから、妹は思い切って冒険(結婚)できるわけで、

もし、ダメだったらぶっ殺す、と言われたら、まあ思い切った結婚はなかなかできない。

イグジットの保証されていない投資みたいなものと言えばいいのか。

若さゆえの突っ走った結婚、という、一般庶民に許される冒険が許されないのは少し気の毒ではありますが、いずれにせよ、お立場もあります。
国民みんなが祝福できる結婚であってほしい、とは思います。  


2020年10月08日

謎の美女はいても謎のブスはいない

水野美紀さんが、新しいドラマで、謎の美女、を演じる。という報道がありました。

いつも思うのですが、「謎の美女」って言葉、推理小説とかスパイ小説でよくでてきますよね。でも、謎のブス、はいない。

まあ、そもそもブスはドラマに出てこないってのは、たしかにありますが、結局、ひとは、美女には、みんな関心がある。
だから、いろいろ知りたくなる。知りたいのにその情報が出てこないと「謎」になる。

ところが、まあ、ブスに対しては誰も関心を持たねえ、知りたくもねえ、ってことなんでしょう。

ブスにいわせりゃ、ブスにも、ブスなりのひめごとがあるはずなんですが、ま、誰も聞いちゃいねえ、ってことなんでしょう。

情報は、隠すことで、価値をあげることがある。これは、相手方との交渉含め、色々なシーンで、良く頭に入れておくべきことでもあります。

  


2019年07月09日

富士山に行ってきました。

諸般の事情により、久しぶりに富士山に登って、頂上で一泊してきました。

富士山は、雪上訓練のために、冬には毎年行きますが、雪のないこの時期の富士山は、久しぶりです。

天気は良くなかったですけれど、山開き直前で、にぎわっていました。

当然ながら変化のある山ではなく、せせらぎもなく、お花もなく、まあ、ぶっちゃけたのしい登山というより、訓練で行くヤマですよね。

でも久し振りの富士山、登って良かったと思います。やっぱりこの山は偉大なヤマで、いろいろと気づくこともありました。たまには富士山もいいなと思いました。

  


2019年07月05日

むかしむかしのお客様との再会

私は、毎朝、走っているんですが、

先日、川沿いの道をいつも通り走っていますと、対向から来たバンが突然止まり、運転席から身を乗り出した男性に、ノジマセンセ!と声を掛けられたんです。

???と思ってよく見ると、なんと、昔対応した、自己破産のお客様でした。

この方、自営業でいらして、私が受任したのですが、破産申し立ての直後に、実は、事務所に隠れてこっそり、いろいろなものを換金して使い込んでいたことが判って、せっかく同時廃止になりそうだったのに、管財事件になってしまい、

ほかにもまあ、いろいろやらかしてくれて、大変だったのです。その時は彼も結構やけっぱちというか自暴自棄でした。
でもまあ、無事に、破産、免責、と進みまして、私は任務終了でそれ以来お会いしていなかったのですが、

今は牛乳宅配の会社に勤め、その配達の途中とのこと。

おお、この人が!!朝五時から働くなんて!!!と驚いたし、また、お元気に働いている姿を拝見して、とてもうれしかったです。

破産したって、いいんです。人間が生まれたら死ぬように、事業だって、生まれたら死んでいくんです。
どうしてもうまくいかなくなったら、全員に公平に、しっかりごめんなさいをして、また、やり直せばいいんです。

破産は、新しいスタートです。

そのお客様が、ちゃんとやり直して、新しいスタートが順調なのを見て、私は、うれしかったです。
  


2019年07月04日

トラブルに向かう心構え

トラブルを抱えた方に、一言アドバイスをするとすれば、一つ一つの出来事に、一喜一憂しないことです。

瞬時にかたづくトラブルなんてありません。男女のもつれ、相続、子どものこと、会社のこと、いろいろありますが、ともかく紛争は、まず長くかかる、その覚悟を決めて、でん、と構えることが第一です。

第二に、というか、したがって、というか、一喜一憂してはいけません。それは、長いトラブルの中のひとつの出来事にすぎず、最終的にそれがどういう意味を持つかは、本当に、最後の最後まで、判らないのです。

人間は、死んで初めて完成する。と言ったのは、太宰治でした。人間は変化していきます、成長していきます、死んで、その人の全生涯をたどってやっと、その人が結局、どういうひとだったか、判る。という意味ですが、

当たり前ですが、トラブルも、終わって初めて完成するのです。
いま、あなたは相手の一挙一動、一言に傷つき、怒り、悲しんでいるかもしれませんが、もしかしたら相手のその一言は最終的には、あなたを有利に導く一言になるかもしれません。

トラブルにいるさ中には、目先のことしか見えなくなるものですが、我々弁護士は、そのトラブルの終わり方まで見据えて、一つ一つの意味付けを考えて行きます。

なので、目先のことに一喜一憂してはいけません。疲れてしまいます。その出来事の意味付けは、弁護士に任せて、あなたは、今あなたがすべき、育児なり、仕事なり、に、専念されることをお勧めします。その方が効率的だし、楽です。間違いなく。

  


2019年07月03日

離婚でいう「別居」って、いつからなんでしょうか、という、お話。

ある種の契約は、段階的に成熟し、ある程度に至れば、契約書に署名捺印する前であっても、契約成立への期待は、法的保護に値します。
ある種の男女の交際も、段階的に成熟し、ある程度に至れば、法的保護に値します。
婚約、とか、婚姻予約、とか、いうものですね。
その成立は諸要素を総合考慮して判断されるものであって、例えば指輪を買ったら婚約で、法的保護に値する(つまり裏切られたら、慰謝料が取れる)、というものでは、ありません。

さて、では離婚はどうでしょう。
離婚について段階的に成熟する、という説は聞かないし、長年弁護士やってても、そのように考えるべきである、とは、思いません。離婚は、離婚届提出時に、成立します。
しかし別居は、これはまた別の問題で、いったいいつ「離婚に向けた別居」が成立したのか、ってのは大いに争われうるポイントです。財産分与の基準時決定、ひいては分与額の決定に大きな影響を及ぼすからです。

よくあるのが、妻はルンルンで暮らしていても、夫は家庭内別居だと思っていた、またはその逆。
妻は、夫は単身赴任だと思っていても、夫は別居だと思っていた、またはその逆。
妻は、冷却期間のために一時避難したつもりだったのに、夫は別居開始ととらえていた、またはその逆。

いや、何を言いたいかと言いますとですね、別居が段階的に成熟する、というか、夫婦の経済的協力関係が段階的に終了していく、とみることのできるケースもあるんじゃないのか、ということなんです。

離婚において「財産分与の基準時となる別居」とは何か。その要件について、我々法曹は、いま一度きちんと考えてもいいんじゃないかと思うわけです。

事実上の別居=財産分与の基準時、と、今、我が国の裁判所の扱いはそうなっています。

しかし、そう扱うべきではないケースもあるし、「共有財産形成のための、夫婦の、経済的協力関係の終了」が必ずしも別居時と一致するという理論的な根拠もない。

離婚を取り巻く社会環境は急速に変化しています。より良い財産分与のあり方を模索すべき時が来ているのではないか、と、考える時もしばしばあるんですね。

それはもちろん、無条件に、何が何でも財産分与は、二分の一、という実務の扱いの見直しも含めて、です。

より良い離婚を考えることは、より良い結婚を考えることであり、それはひいては、より良い我が国の家族像を描くことでも、あるからです。  


2019年07月01日

患者の術後せん妄と、医師が強制わいせつで起訴された事例の判決を読んで

乳腺外科のお医者さんが、手術後、女性患者の乳房をなめたとして、強制わいせつ罪で、逮捕、起訴された事例の判決が、今年2月に言い渡されています。

今般、その判決文を、しみじみと読みました。

無罪判決です。が、検察も控訴中とのことで、どうなるか、今後の展開を注目したいと思います。

術後せん妄というのは、全身麻酔などをかけ、目覚めかけたときに見る夢のようなもので、これは若い人でも老人でも同じように見る。しかも、相当はっきりその記憶が残り、ご本人には事実としか思えない、ということが多いのだそうです。

私は判決文の事実関係から、判決のとおり、被告人は無罪だろうと考えます。

しかし術後せん妄が、ある意味防ぎようのない不可避なものであるとすれば、この種の事件を予防するためには何をすればいいのか。

やはり、医師一人で術後の診察を行わず、看護師さんや同僚医師らとともに行うことが一番なのかもしれません。

一生懸命に治療を担当した医師が、逆に起訴されてしまうようなことのないよう、各病院、施設ごとに、組織的な対応を検討する必要があるでしょう。  


2019年06月28日

監禁か誘拐か、そして「誘拐」とは何か。

群馬県で、中学校の教師が教え子の女子生徒を監禁したとして逮捕された、という報道。

何があったのか判りませんが、家の中が荒らされていたとか、靴を履いていなかったとかいう報道をみていると、これは監禁じゃなくて誘拐なのではないか、とおもいます。まあ誘拐にも、未成年者略取とか、営利目的略取とか、身代金目的略取とか、いろいろありますし、

そもそも「略取」と「誘拐」は、刑法上は、違います。なんとなく、誘拐って言葉の方が、皆さんよくご存じのようですけれども、

略取っていうのは、脅したり暴力をふるったりして連れ去るタイプですね。ドラマで見るような、ナイフやら銃口やらを突きつけて連れ去るタイプ。

誘拐は、「お菓子をあげるからこっちにおいで」など、騙して連れ去るタイプです。

ま、いまのところ、この先生が何のためにこんなことをしたのか、具体的にはどういう方法で女の子を連れ去ったのか、など、具体的な事実関係が明らかではないので、とりあえず固いところとして、警察としては、監禁罪で逮捕した。ということなのであれば、それはそれで正しい判断なのでしょう。

ともあれ、女の子が無事で本当に良かったです。