2021年06月08日

司法試験の受かり方

先日、司法試験(予備試験)を受けているという若い女性とお話する機会がありました。

私は旧司法試験時代の人間なので、今の試験については詳しくはありません。

ただ言えるのは司法試験というのは「頭がいいか」とか「天才か」を図ろうとしている試験ではない。
凡人でいいんです。

あの試験は法律実務家になるための試験です。法律実務家になるために、必要な知識を持っていますか。その知識を使いこなせますか。ということを問うている試験です。

ノーベル賞を貰うとか、後世に残るような大発明をするとか、そういうのは「天才」で本当に頭のいい人にしかできないのかもしれません。

ただ司法試験に合格する、ってのはそうではない。

音楽でいえば、バッハやモーツアルトのようなのは天才で、これは努力したってなれるものではないけれども、日本の音大を出てピアノの先生になるくらいは、まあ努力すればある程度のところまではいけます。それと同じようなものです。

ただ、覚える知識の量がとても多い。そして、試験の時間が非常に短いため、もう、反射的にパッパッと問題を処理していく能力が求められます。これはもう、訓練あるのみです。ひたすら訓練です。

クライミングでいえば、300mの崖を、50mロープ二本使って懸垂下降を繰り返して、30分以内に降りろという指示のようなもので、時間をかければ誰もができる。だが、時間がない中でそれができるか、というと、それをどれくらいやりこんでやり抜いてきたか、というところが問われるわけです。
一回の懸垂下降を5分以内で終える、これを6回繰りかえす、となると、まずセルフを取って、捨て縄かけて、ロープセットして、投げて、降りて、ロープを抜く、という作業を的確に、一度として間違えずにパッパッと行わなければならないわけで、これは、誰もができることでありながら、だれもができることではないのです。

凡事を、非凡なまでにやり抜くことができるかどうか、それだけです。

誰もができることを、誰もができないくらいにまでやり抜けば、司法試験には必ず受かります。あれは、決してそんなに難しい試験じゃない。
ただ、その難しくないことを、徹底的に徹底的にやり抜けるか、という、その一点につきます。

そして法律というのは勉強してると全く持ってつまらんのですが、実際に使って仕事をしてみるととても面白いものなのです。

若い法律家の卵には、ぜひ、頑張ってほしいものです。この稼業はとても楽しいし、やりがいもあるし、よい稼業です。良い法律家人生を送っていただきたいと思います。  


2021年06月08日

決められない男

決められない男は、暇な男です。

多くの場合において。

  


2021年06月03日

中国トレラン大量遭難事故を思う。

中国甘粛省白銀市近郊で行われたトレランレース、参加者172人中、なんと21人もが死亡するという、大規模な山岳事故が起こりました。
参加者の1割以上が死亡する事故なんて、ちょっとわが国では想像がつきません。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族のお悲しみを思います。

このレースについては主催者が白銀市で、設定が悪かったなどの批判があり、「ジャケットが必携装備とされていなかった」という指摘があるようです。

わたしゃトレランはやらないので、どういうものなのかよくわかりませんが、ただ1ヤマヤとしては、ジャケットくらい、必携じゃなくても、普通にもっていくんじゃないか。。。。と思います。必携装備じゃないとしても、持って行っちゃいかんというわけではなかったのでしょうに。そこらへんは、ヤマに入るものの自己責任である気がしますね。

もう一つこのレースでは完走者全員に賞金が出る予定?だった、という報道も見ました。これが事実だとすると、うーん。。。という気はします。

ヤマに金銭欲を絡めちゃいけません。こういう設定は確かによろしくない。何のためのレースなんだ。ヤマを楽しみ愛するためのレースでは、なくなってしまいます。

職業柄、山岳事故と責任(民事、刑事共に)についてはかなり興味をもって調べてきましたし、実際に扱わせていただいたこともあります。
いわゆるガイド登山というのは、やはりカネが絡むからこそ、妙なことになりがちですし、トラブルも発生します。

いや、そりゃ、ガイド登山楽だろうとは思いますよ。ルーファイしなくていいし、下調べもいらないし、リードも全部お任せなら。ただ、まあ、わたしゃ個人的には、それじゃ山に登ったことにならんだろう。と思いますが。。。。

やっぱりヤマは自分で悩み、くるしみ、ビビり、そして勇気をもって決断するから、全身全霊で自分と仲間を信じて、思い切っていくから、だからそこに究極の自分との対話、神々との直面があり、それあってこそのヤマなんではないか、と思いますがねえ。

ま、ヤマは好みです。ひたすら山でのんびりしたいという人がいるのも全然いいと思います。ただ、カネはね。ヤマで絡めちゃいけないものである気がしますね。ヤマ勘が鈍ります。ヤマは、ただヤマへの愛のためだけに、のぼるべきものです。

そして、なんでこんな大量の死者が出るようなレースを決行してしまったのだろう、白銀市は、、、と思いますが、しかし、わが国だって、大量の感染者が出る可能性があるのに、何かを決行しようとしていますからね。ひとさまのくにのことをとやかく言っている場合では、無いと思います。同じくらい、、やばいんじゃないかと、心配です。





  


2021年06月01日

婚姻について語る時に私が語ること。

時々、婚姻したいんですう、という若い方とお話をすることがあります。

結婚したいんです、という話を弁護士にされても、わたしゃ離婚については、それはいくらでも語れますが、婚姻についてはなにほどの経験もあるわけではないし、幸せな結婚生活を送っている人は私のところには来ないわけで、不幸な結婚生活については山ほど扱ってきましたし、いくらでも語れても、「幸せな結婚生活」について、語りえることは、まったくもって、ごく、わずかです。

ただ、婚姻というのは、それに伴って一定の債権債務が両当事者に発生する以上、明らかに、契約です。しかも相当程度に強い法的保護を与えられる契約であって、通常の契約のようにほいほい解除できるわけではない、にもかかららず、通常の契約とは違い、契約期間、というものがない、つまり、期間満了にて終了、という終了の方法は想定されていません。

つまり、エグジット(出口)の見えない契約です。そんな危険な契約は、まともな企業人なら当然躊躇するものであるのに、婚姻契約だけはなぜかそうはならない。

しかも、この契約は、人生の大部分を侵食します。これがまた、たとえば、業務上の契約であったり、金銭の貸し借りであったりするならば、それはそれで人生の一部分ではありますが、しかし、そこを切り取って、割り切って自分の人生を進めることもできる。

しかし婚姻契約は、衣食住のみならず感情の大部分、そしてプライベートのすべてを覆う契約なので、これにトラブルが生じると、日常生活自体が脅かされるわけです。
だから、仕事でうまくいかなくても、プライベート(家庭生活)がうまくいってさえいれば、人間どこかで幸せを感じることができるのですが、
つまり、プライベート(家庭生活)がうまくいっていなかったら、仕事がうまくいっていても十分に幸せを感じることができない。

それほど重大な契約であるのに、それがまた一時の熱情と性欲に支配され、かつ、思慮の浅い若者によって判断されることが多い、しかも婚姻が一種の契約であることさえ理解されないまま、婚姻に踏み切る人が多いわけで、それはまあ、解除に際してトラブルになるのも当然です。

ただ、失敗、トラブルが怖いからと言って婚姻しない、というのもそれはまた違うと言えます。他者と、一定の関係性を、長期間維持する、ということ自体は、人間の変容、成長をもたらします。

婚姻関係からエグジットすることができなければ、その婚姻関係を受容せざるを得ず、受容するためには、自分自身の考え方や在り方やこだわり、価値観を捨てたり、変容させなければならなくなる。それは、自己改革、成長につながります。

相手に価値観の変容を迫るだけではなく、自分もまたその価値観を変容させることができるか。相手だけに問うのではなく、自分にもまた問うことができるか。そこまでして婚姻関係を守ろう、という覚悟を固められるか。

婚姻関係は、愛情などと言ったふわふわしたものによるものではない。意思と覚悟とが支えるものでもある、ということは、これは、言える。と思います。









  


2021年05月31日

山菜取り考

土日にかけて、新潟県に山菜取りに行ってきました。

私は山菜取りはとても好きですが、基本的には登山道を歩きながら、または沢を遡行しながら、という感じで、歩きながら取ります。

山菜は、立ち止まってじっと見ていて見つかるというものではないと思います。歩きながらひょいと見つけたら、その周辺にちょっと目をやれば、割とどんどん見えてきます。

これは人生も同じで、立ち止まって考えこんでも、それで何か見えてくるというものではない。歩きながら、あるいは走りながら考える。その方がいろんなものが見えてきて、感覚も鋭くなり、直観的に正しい判断ができるようになる、と思うのです。

この、直観と判断の正確性の一致、という点は、弁護士稼業では非常に大事なことになります。

直観的に正解はこれだろうと見抜き、そのあとでそこに正しく理屈をつけられること。これは、瞬発力とも近いものがあります。

現場は一瞬一瞬で動きます。その時どう立ち回るのが正解か、とっさに何をすることがただしいのか。これはもう、限りなく、場数を踏んで修羅場をくぐってきた経験がものを言います。

座り込んでいて判断できるものではない。

で、無理やり話を山菜に戻すと、うど、タラの芽、こしあぶら、などがそこそこ取れて、美味しくいただきました。同行いただいたみなさん、ありがとうございました。

  


2021年05月27日

東京五輪

あまり政治的なことは書きたくないのですが、新宿で商いをするものとしては、どうも、どうなのよ。。。と思います。

正直、いま、仕事帰りに1人吉野家でまったりビールを飲むことさえ許されず、
出張の帰り新幹線でハイボールでも飲むか、と思っても、駅のキオスクにも、また車内販売でも、酒は売っておらず、

一人静かに酒を飲むことの、何が悪いんじゃ。と思うのですが、それさえやめてくれと言われているというのに、あと2か月後に国を挙げてどんちゃんのお祭り騒ぎをするんですかねえ。それってどうなのよ。

もう一つ思うのが、お祭りっていうのは、皆が、準備の段階から楽しみにして、ああだこうだ言いながら準備して盛り上がっていくから楽しいものなのに、ほとんどの国民が楽しみにしておらず、中止してくれい、と思っているなかで決行されるお祭りってのは、またどうなのよ。。。と思います。

私の事務所は新宿西口、すぐそばに都庁はもちろん、京王プラザホテル、ハイアット、ワシントンホテル、少し離れれば小田急センチュリーと、大型ホテルが居並び、ここに外国の報道陣がどばっと詰めかけたらどうなるのか、あふれかえるのでは、と思うと、到底、五輪期間中は事務員たちを出勤させるわけにはいかん。と思ってしまいます。危険すぎる。

どうしてもやるというなら、来日人数を減らすしかない。選手とコーチやら監督やらはまだいいとして、報道陣はやめていただきたい。


いや、それまでに、ほんとに国民の7割くらいがワクチン打ち終わって、もう、1日の新規感染者数がごそっと、我が国全体で、100人以下になってる、とか、そういう図がかなり具体的に、シミュレーションできている、というのであれば、ま、やってもいいと思います。でも、なんかそういう話も聞きませんしねえ。

「選手たちがお互いをたたえあう姿をみれば絆を取り戻せる」とか、ほんと頭の中がお花畑過ぎて、もうちょっとリアルに物事を考えていただきたいと思います。国民の反対押し切って、五輪やって、ワクチンを先に打った選手をみて、まだワクチンを打てていない人間がどう思いますか。しらけるだけですよ。

喜びを分かち合うどころか与党に対する不信感以外に分かち合うものは何もないんと違いますかねえ。

ま、そんな事愚痴ったところでどうしようもなく、小さな事務所を経営する身としては、なんとか自力で事務所を従業員を守らなくてはならない、誰も守ってなんかくれませんからね。しかしなあ。ゆりこちゃんだって、せっかくご近所なのに、なにかしてくれるわけでもない、でも、事務所閉めるわけにもいかないし、まあ、万が一強行されたら、というか、どうも強行されそうなんですが、そしたらいったいどうしたもんでしょうな。悩ましい。






  


2021年05月26日

働く女性と、出産と「キャリア」??

ジャーナリストの浜田敬子さんが書かれた、「子どもを親に任せてまでやりたくない…働く女性「キャリアを積む」温度差の理由」という、現代ビジネスの記事を読みました。

うーん。。。と思いました。浜田敬子さんのような子育てのやり方は今では批判をされこそすれ、決して多くの若い女性が求めるものではないでしょう。
ただ、そうしないと「編集を外される」という思いだったそうです。どれだけ必死に頑張ってこられたかと思うと、頭が下がります。

私は司法試験に合格して修習生になり、弁護士登録して以来、中断することなく一貫して実務家であり、弁護士でした。
子どもを産まなかったのは「キャリア」のためではない。
というより、ほぼ、「キャリア」がどうとか、考えたことはありません。

ただ、仕事があって目の前にお客さんがいて、事件は躊躇なく進めないといけないなかで、子どもを産む、という発想がなかった。子どもを産むなんて思いもつかなかった。というのが正確なところです。

友人の女性弁護士たちが見事に結婚しお子さんを産み、仕事と子育てをする姿を見て、凄い!とは思いましたが、いわばそれは異世界というか私とは完全に別世界の話であって、まったく自分ごとではなかった。

結果としてキャリアは中断しなかったが、別に中断させてはいけない、とか考えていたわけではない。

ご縁があって婚姻はしましたが、だからと言って弁護士稼業に何か影響があったかというと何もありません。仕事のスタイルが婚姻によって変わることもなかった。

これは何らかの信念をもって、こうなった、というものではないですね。目の前のお客さんに対応し事件をやっていたら、気が付いたらこの年になっていただけで、別に後悔もないし、代わりに何らかの誇りがあるわけでもなく、あ、結果としてこうなったんだな。というくらいの感想です。ともかく一件でも多く事件をやりたかったし、そのために、一日も早く事件を終わらせたかった。私のような浅学菲才のものが、弁護士になることを認めていただいたのだから、一生懸命事件をやらなきゃらならん。そして、私のようなぼんやりしたものが、弁護士として、他の優秀な方たちと肩を並べて、やっていくためには、もうそうやって経験値を上げていくしか、ほかに道はなかった。それにお客さんの方も、一日も早く事件が終わって安心されることを望んでいますしね。

だから、働く女性の間で、「キャリアを積む」ことに温度差がある。。。と言われてもねえ。そもそもそんなことは考えていないです。
キャリアを積む。という発想自体が、もはや古いような気もします。

ま、いまとなってみりゃ、子どもがいれば全然違う人生だっただろうなあ。楽しかったかもなあ。とは思いますね。思いますが、まあ、仕方ないな、というくらいです。私の人生これでいいのか、とか考えたことは無い。これでいいです。事件があって、自分がいる。それで十分です。

そう思えるだけでも、私は本当に幸せな弁護士だと、じぶんでも、しみじみと、思います。


  


2021年05月24日

我々はなぜ、性交渉を秘匿するのか。

この稼業をしていると、不貞行為の有無、という論点に極めて多く接します。
不貞をする人、暴こうとする人。

で、不貞を「暴く」、というのは、当然、配偶者と第三者との間に性交渉が存在した事実を暴くことになるわけですが、「暴く」という行為自体は、当該性交渉の存在が秘匿される、という事実を前提とします。秘匿されなければ「暴く」も何もありません。

で、不貞を「秘匿する」という行為の動機は明らかです。それは婚姻関係を破壊する「裏切り」として非難される行為だからです。
ところが、我々人間は、不貞であろうとなかろうと、「性交渉」自体を秘匿します。

つまり、性交渉について、「不貞だから秘匿する」のであれば夫婦間の性交渉は白昼堂々行われてもいいはずですが、本来、世に認められた性交渉であるはずの夫婦間の性交渉でさえ、我々は秘匿しようとする。

それはなぜなのか、というのは、わたしゃ、この稼業をしてからずーっと不思議に思っていて、今でも納得のいく答えにぶち当たらない。
だって、たぶん人間だけじゃないですか?性交渉を隠そうとする動物って??

この点について、「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」という本が出されていて、なかなか面白く読んだのですが、私の疑問は結局、納得いく解決を見ませんでした。

ただ、1点、これは確かだろう、と、私が素人ながら思うのは、
「我々が性交渉を秘匿する」という習性は、一夫一妻制の存続に大きく寄与している。という事実です。

もちろん、一夫多妻制の国であっても、性交渉自体は秘匿されています。したがって、性交渉の秘匿と一夫一妻制との間には、直接の因果関係は認められません。

ですが、想像してみてください。もし、我々がラブホやらなにやらでこそこそ性交渉を行うのではなく、道で、駅で、公衆の面前で、堂々と性交渉を行う場合、人間はやたらに発情し、おそらく一夫一妻制の維持は難しくなるのではないでしょうか。何と言っても人間は四季を問わず発情するのですから(これもまた奇妙ですよね。たいていの動物は春にしか発情しないのに、です)。

我々が一夫一妻制を維持できている(維持するのが正しいかどうかはまた別の論点です)のは、この、性交渉の秘匿、という習性が大きく寄与していることは間違いないでしょう。

率直に言うとわたしゃ、不貞行為をする奴なんて絶対に許すべきではない!とは思いません。人間だれしも、間違いはあります。不貞行為が間違いなこともあれば、そもそも婚姻自体が間違いなこともある。

ただ、それが暴露されることによって、誰かが傷つくのであれば、せめて、暴露されないようにすべきです。具体的に言うと証拠を残してはいけない。さらに具体的に言うと、不貞性交渉中の素敵なお写真や動画。あれ撮るの、やめましょう。ばれたとき、配偶者は大変に傷つきます。たまに、お子さんが見てしまった時など、大惨事です。


そして、朝っぱらから、その写真を法廷にもっていき、「ここに写っている性器は誰のものか(被告のものではない)」とか、「ここまで接触しているが、酔っぱらいすぎていて既遂に至らず、未遂に終わった(つまり、やっていない)」などと大真面目に論じ合う破目に陥る弁護士の気持ちも少しは想像してみてください。

もちろん我々これが仕事なんで、うーん、、、、と思いながら、きっちりやりますよ。やりますけど、こんなふうに、こんなことで突き合って貴重な法的資源を費やすなら、もういっそ、一夫一妻制やめませんかね。と思う時も、たまにあります。ほんとのことを、言ってしまうと。
  


2021年05月20日

戦後処理

先週、今週、といくつかの事件が無事に落ちまして、ほっとしているのですが、しかし、事件には戦後処理、というものがあります。
我々弁護士は、裁判が終わったら、はい、お役ごめん、ではなく、裁判が終わったら、そこから、その裁判(判決なり和解なり)を実現していく作業をしないといけません。

裁判所が判決を言い渡して、自動的にそれが実現することはないです(〇円払え、という判決が出ただけで、自動的にチャリン、とカネが払われるわけではない。)し、ご本人たちだけの力でそれを実現されるというのはなかなか難しい。
なので多くの場合裁判が終わっても、弁護士は、はいさようなら、はせず、判決なり和解なりを実現させるために、お客さんのお手伝いをします。

問題は、このお手伝いがどのくらいの期間で、どのくらいの労力で終わるかです。
原理的にいうと、我々、判決言い渡しか和解で、本来は任務終了です。

そのあとのお手伝いをしても、さらにそれで報酬をいただけるわけではない(ことがおおい)。ただ成り行き上、これで突き放したら皆さんお困りだろうし、なんとなくアフターサービスでやるわけです。

これが「なんとなくアフターサービス」の程度で終わるうちはいいのですが、場合によってはこれが半年くらいかかる時があります。また、偉く手間がかかることもある。こういう時にそれを、「なんとなくアフターサービス」でやるのか、おカネを頂くのか、というのはまた悩ましい問題です。

これから私の事務所でも、終わった事件の戦後処理を進めていくわけですが、早く終わりそうなのもあり、長引きそうなのもある。

沢のぼりでいうと、核心の滝は全部無事に終わったが、まだ、稜線まで、詰めが残っている、で、その詰めが結構長い。というような状態です。

沢登りでは、核心部分を無事に終えても、詰めを間違えたり、落石があったりすると、結局事故につながります。

それと同じで、事件でも、ちゃんとお客様にご満足いただき、無事にお客様を稜線まで送り届けるためには、これから先が大変なわけです。

時々、裁判所は、この「戦後処理」をしなくて済むから羨ましい。と思います。あのひとたち、判決言い渡したり和解成立させたら、もうさようなら、ですもんね。沢登りでいうと、立派な大滝とかゴルジュとか、一番美味しいところだけ楽しんでいって、疲れる詰めや、面倒な下山はパスして、ヘリで帰っていくような感じです。

ただ、詰めをきちんと終えたら、稜線に立てます。そしてその稜線に立った時の感動、お客様と手を取り合って喜べる。という貴重な経験、もあります。下山だって疲れて、面倒ですけど、でもその下山をこなしてこその、山行の充実でもあります。

なので、戦後処理、しっかりやろうと思います。それをきちんと詰めて、お客さんを安全に送り届けてこその、事件の終わりですから。手間、かかりますけど。  


2021年05月19日

お金もないし、力もないし…

お金もないし、力もないし、地位も名誉もないけど、君を守りたいんだ…という歌があります。

カネもなくて力もなくて、どうやって配偶者なり、恋人なりを守ろうとするのか、はなはだ疑問といわざるをえません。
弁護士からすると、なら、鼻歌うたう前に稼ぎなさい。貯金しなさい。と言いたくもなります。

カネのない離婚、というのは本当に悲惨で、浮気をされても結局慰謝料さえ十分に貰えず、お子さんの養育費も不安定で、不安なまま、ひとりで人生を歩みなおさなくてはなりません。だから、カネのないひとが不貞をするというのは本当にけしからんこと(だって、十分な償いさえできないのですからね)ですが、

そもそも十分なカネがなければ、婚姻中であっても、たとえば配偶者がパワハラ上司に苦しめられ、ウツの一歩手前にいたとしても「無理しないで、一度仕事辞めて休んだら」と言えません。隣人がクレーマーで配偶者が困っていても、じゃあ、引っ越そうか、とも言えません。なので、カネというのは、愛情とほぼ同じくらい、婚姻にとって必要不可欠です。逆に愛情の方が、婚姻にとって必要不可欠か、はなはだ怪しい。

さらに気になるのが、この「守りたい」という言葉です。これ、実は結婚詐欺師が連発する言葉でもあります。
「必ず守り抜く」と断言はしない。ただ、「~したい」。幸せにしてやりたい、守ってあげたい、、、、

しかし、そのための行動はしない。

まあ、こういう言葉にころっと参ってしまう方の判断能力がそもそもどうなのか、という疑問はありますが、
特に女性の場合、男性の「行動」よりも「言葉」を重視する傾向にあります。

もう、浮気はしないよ。もう、ギャンブルはやめる。もう、転職はしない。

という言葉が出てくると、何回現実に浮気されても、その「言葉」の方を信じてしまう。

ですので、女性は、結婚詐欺師(最近は国際恋愛詐欺師も多い)にひっかからないためには、相手の言葉ではなくて、行動を見ましょう。実際に相手がなにをしているか。何をしてきたか。なにをしようとして、どういう行動をとっているのか。


何でカネを稼ぎ、その金を何に使っているのか。というのは、その人の人生そのものです。

そのひとが、何をしたい、と言っているのか、ではなく、そのひとは、そのために、現に何をしているのか。大事なのは、その点をしっかり見極めることにあります。