2021年05月17日
本のタイトルと、自分の頭で考える。ということ。
ずいぶん書かなかったのですがひょんなことから、一応これを読んでくれている方がいると知ったので、ボチボチ再開しようと思います。
いわゆるビジネス本やら、健康本やらのタイトルで、~したいなら○○しなさい、~なら○○をやめなさい、ってアレ、ありますよね。最近非常に目につきます。
わたしゃ、どうしてああいうタイトルの本を買おうと思う方がいるのか、全く理解できません。
あの上から目線。あれを黙ってほいほい聞く、どころか、その上から目線の指示を嬉々として買い求め、おそらく、反証検証や裏どりもしないでそのままに受け入れるのでしょうか。
想像ですが、ひとさまのいうことについて、反証検証や裏どりをしようと思う人間は、そうそう簡単に、それ系の本を手にしないでしょう。
こういうタイトルを目にするたびに、うるせえ、自分のケツを洗おうが洗うまいが、自分の足の爪を切ろうが切るまいが、自分のふくらはぎをどうしようが、下着をどうしようが、あんたに指示される必要はない。ほっておいてくれ。自分で決めるわ。すくなくともわたしゃ自分のケツをどうするかを決めるためにあんたの指示はいらないし、あんたに金を落とす必要も感じないわ。
と、反発しか感じないのはわたしだけ、、、でしょうか。ちなみに私はカップヌードルを作るのに、タレを後入れとか先入れとかいちいち指示が書いてある、あれにさえ反発を感じます。自分のカネで買って、自分が作って、自分が食うんじゃ。すべてのリスクを私が取るのに、なぜいちいち作り方を指示されねばならぬのか。カップヌードルくらい、好きに食わせてくれ。
しかし、まあ、人間、何らかの指示が欲しい。そういうものなのでしょう。
嘗て封建制度強かりし頃、束縛が多かった時代には、人間は自由を求めてきました。そして封建制度やら家父長制やら身分制やら、何やらを打破してしまった今、自由が、我々には、重すぎる。
なんらかの「指示」「他己決定」によりかかりたくてたまらない。それはある意味、責任転嫁したくてたまらない、という心理にも通じるもので、昔から言われる「自由からの逃走」ってやつなんでしょう。
が、自分のケツを洗うかどうかさえ自分で決められない人間たちが、「民主主義」で、自分たちの命運を決定せよ、と言われて、できますかね。できるわけないと思うんですがね。
だから私は、この、民主主義を無条件に礼賛し、「良いもの」とする風潮にははなはだ賛成いたしかねます。他の制度に比べてマシってだけで、これを積極的に正義だー、のように謳うのは、どうかと思う。「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」というチャーチルの言葉は、いま、もう一度しっかりと噛みしめられるべきです。
まず、自分のケツをどうするか、自分の頭で考えましょう。洗うのか洗わんのか。
今日一日をどう生きるか、自分の人生にどう責任を取るか、まず、それを。誰のせいでもない人生をどう生きるのか、それを。
民主主義は、それからです。
いわゆるビジネス本やら、健康本やらのタイトルで、~したいなら○○しなさい、~なら○○をやめなさい、ってアレ、ありますよね。最近非常に目につきます。
わたしゃ、どうしてああいうタイトルの本を買おうと思う方がいるのか、全く理解できません。
あの上から目線。あれを黙ってほいほい聞く、どころか、その上から目線の指示を嬉々として買い求め、おそらく、反証検証や裏どりもしないでそのままに受け入れるのでしょうか。
想像ですが、ひとさまのいうことについて、反証検証や裏どりをしようと思う人間は、そうそう簡単に、それ系の本を手にしないでしょう。
こういうタイトルを目にするたびに、うるせえ、自分のケツを洗おうが洗うまいが、自分の足の爪を切ろうが切るまいが、自分のふくらはぎをどうしようが、下着をどうしようが、あんたに指示される必要はない。ほっておいてくれ。自分で決めるわ。すくなくともわたしゃ自分のケツをどうするかを決めるためにあんたの指示はいらないし、あんたに金を落とす必要も感じないわ。
と、反発しか感じないのはわたしだけ、、、でしょうか。ちなみに私はカップヌードルを作るのに、タレを後入れとか先入れとかいちいち指示が書いてある、あれにさえ反発を感じます。自分のカネで買って、自分が作って、自分が食うんじゃ。すべてのリスクを私が取るのに、なぜいちいち作り方を指示されねばならぬのか。カップヌードルくらい、好きに食わせてくれ。
しかし、まあ、人間、何らかの指示が欲しい。そういうものなのでしょう。
嘗て封建制度強かりし頃、束縛が多かった時代には、人間は自由を求めてきました。そして封建制度やら家父長制やら身分制やら、何やらを打破してしまった今、自由が、我々には、重すぎる。
なんらかの「指示」「他己決定」によりかかりたくてたまらない。それはある意味、責任転嫁したくてたまらない、という心理にも通じるもので、昔から言われる「自由からの逃走」ってやつなんでしょう。
が、自分のケツを洗うかどうかさえ自分で決められない人間たちが、「民主主義」で、自分たちの命運を決定せよ、と言われて、できますかね。できるわけないと思うんですがね。
だから私は、この、民主主義を無条件に礼賛し、「良いもの」とする風潮にははなはだ賛成いたしかねます。他の制度に比べてマシってだけで、これを積極的に正義だー、のように謳うのは、どうかと思う。「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」というチャーチルの言葉は、いま、もう一度しっかりと噛みしめられるべきです。
まず、自分のケツをどうするか、自分の頭で考えましょう。洗うのか洗わんのか。
今日一日をどう生きるか、自分の人生にどう責任を取るか、まず、それを。誰のせいでもない人生をどう生きるのか、それを。
民主主義は、それからです。