2022年02月25日
頑固な脂肪がみるみる消える?という広告について
フィットネスセンターやら、美容外科などで「頑固な脂肪が」みるみる消える、という広告を出しているところがあり、
まあフィットネスセンターの広告としては正しいのかもしれませんが、
しかし、ほんとのところ、頑固なのは脂肪じゃなく、その脂肪をしょって歩いている、そこのあなた、ご本人です。
そんな、重いもの背負って、健康を害して、あなた自身嫌だなあ、と思っていて、おそらく健康診断とかでも指摘されているのに、食生活も運動生活も頑なに変えない。これを頑固と言わずして何という。
あなたが頑固じゃなくなれば、脂肪は消えます。頑固なのは脂肪じゃないですからね。
ところで、こういう事象って、ほかにもめっちゃよくあります。
ご本人は譲らない。相手も譲らない。これでは平行線で、事件は長引きます。「相手は何と頑ななのか」という。でも、頑固なのは、譲らないあなたもそうですよね。。。。
と、弁護士が内心思っているときも、、たまにあります。
紛争の相手ってのは、あなたの鏡でもあるんですよね。いやなことですが。それは、脂肪が、アナタの食生活、運動生活を映し出しているのとおなじこと。いやなことですが。
まあフィットネスセンターの広告としては正しいのかもしれませんが、
しかし、ほんとのところ、頑固なのは脂肪じゃなく、その脂肪をしょって歩いている、そこのあなた、ご本人です。
そんな、重いもの背負って、健康を害して、あなた自身嫌だなあ、と思っていて、おそらく健康診断とかでも指摘されているのに、食生活も運動生活も頑なに変えない。これを頑固と言わずして何という。
あなたが頑固じゃなくなれば、脂肪は消えます。頑固なのは脂肪じゃないですからね。
ところで、こういう事象って、ほかにもめっちゃよくあります。
ご本人は譲らない。相手も譲らない。これでは平行線で、事件は長引きます。「相手は何と頑ななのか」という。でも、頑固なのは、譲らないあなたもそうですよね。。。。
と、弁護士が内心思っているときも、、たまにあります。
紛争の相手ってのは、あなたの鏡でもあるんですよね。いやなことですが。それは、脂肪が、アナタの食生活、運動生活を映し出しているのとおなじこと。いやなことですが。
2022年02月24日
ひとが成長する、ということ
誰かと一緒にヤマに行くと、相手が経験者であれ初心者であれ、非常に勉強になります。
自分より経験のない人と行くときは、その人のひとつひとつの動きや、表情を見て、
「ここはこうしてあげればよかったかな」とか、「こういうふうに指示してあげた方が判りやすかったかな」とかおもいますし、
先輩と一緒に行くときは、先輩のひとつひとつの動作や、動きを見ていると、やはり自分と違いますし、自分の悪いところや直すべきところが見えてきます。
例えばロープの畳み方ひとつ、例えばギアの扱い方ひとつ、例えばテントの張り方ひとつとっても、自分とは違う点があり、それにはそれなりの理由があり、もちろん、うん、自分は自分のやり方の方が好きだなあ、と思うこともありますが、たいていの場合には、経験のある、長いこと、ヤマで生き残ってきている先輩たちの動作のほうが、理にかなっている。
つまり自分の登り方の癖や、欠点、というのは、誰かと一緒に登って初めてより浮彫になってくるのですが、
その、「自分の登り方の癖や欠点」というのが、少し振り返ると、怖ろしいくらい、自分の性格上の欠点や、自分の仕事上の欠点とつながっているのです。それは本当に、時々ぞっとするほど、自分の登り方の欠点や癖が、正直に、私の性格上の、また仕事上の、欠点や癖を現している。と思います。
で、登攀上の欠点や癖は、一歩間違えば命にかかわる重大事故につながるわけですから、当然、注意して直そう、と思うわけです。それは仕事上の欠点も同じで、よりきちんとお客さんが満足してくださる仕事をするためには、当然、自分の欠点を注意して直そう。と思うわけです。
そして、性格上の欠点、仕事上の欠点、登攀上の欠点、が、もし、本当につながっているのなら。
仕事上の欠点と登攀上の欠点を直していくことで自分の性格上の欠点も、、もしかしたら直すことができるのかもしれません。なんてったって、これが一番直しにくい欠点ですからね。
そして、ひとは、そうやって成長していくのではないか、と時々思います。
だから、仕事も登攀も人生も、独りで歩むよりは、誰かと歩いた方が、ひとは、成長するのでしょう。
私はこの20年間を振り返って、めちゃめちゃ、仕事に助けられ、教えられてきたと思います。仕事が私を育てました。同時に、めちゃめちゃ、ヤマに助けられ、ヤマに教えられてきた、ヤマに、育てられてきた。とも思います。
それは同時に、たくさんの方に助けられ、教えられ、育ててきていた、ということなのだろうと思うのです。
自分より経験のない人と行くときは、その人のひとつひとつの動きや、表情を見て、
「ここはこうしてあげればよかったかな」とか、「こういうふうに指示してあげた方が判りやすかったかな」とかおもいますし、
先輩と一緒に行くときは、先輩のひとつひとつの動作や、動きを見ていると、やはり自分と違いますし、自分の悪いところや直すべきところが見えてきます。
例えばロープの畳み方ひとつ、例えばギアの扱い方ひとつ、例えばテントの張り方ひとつとっても、自分とは違う点があり、それにはそれなりの理由があり、もちろん、うん、自分は自分のやり方の方が好きだなあ、と思うこともありますが、たいていの場合には、経験のある、長いこと、ヤマで生き残ってきている先輩たちの動作のほうが、理にかなっている。
つまり自分の登り方の癖や、欠点、というのは、誰かと一緒に登って初めてより浮彫になってくるのですが、
その、「自分の登り方の癖や欠点」というのが、少し振り返ると、怖ろしいくらい、自分の性格上の欠点や、自分の仕事上の欠点とつながっているのです。それは本当に、時々ぞっとするほど、自分の登り方の欠点や癖が、正直に、私の性格上の、また仕事上の、欠点や癖を現している。と思います。
で、登攀上の欠点や癖は、一歩間違えば命にかかわる重大事故につながるわけですから、当然、注意して直そう、と思うわけです。それは仕事上の欠点も同じで、よりきちんとお客さんが満足してくださる仕事をするためには、当然、自分の欠点を注意して直そう。と思うわけです。
そして、性格上の欠点、仕事上の欠点、登攀上の欠点、が、もし、本当につながっているのなら。
仕事上の欠点と登攀上の欠点を直していくことで自分の性格上の欠点も、、もしかしたら直すことができるのかもしれません。なんてったって、これが一番直しにくい欠点ですからね。
そして、ひとは、そうやって成長していくのではないか、と時々思います。
だから、仕事も登攀も人生も、独りで歩むよりは、誰かと歩いた方が、ひとは、成長するのでしょう。
私はこの20年間を振り返って、めちゃめちゃ、仕事に助けられ、教えられてきたと思います。仕事が私を育てました。同時に、めちゃめちゃ、ヤマに助けられ、ヤマに教えられてきた、ヤマに、育てられてきた。とも思います。
それは同時に、たくさんの方に助けられ、教えられ、育ててきていた、ということなのだろうと思うのです。
2022年02月14日
今季アイスクライミングの成果について
本業と全く無関係な話ばかりで申し訳ないのですが、
今季のアイスクライミングは、1月2日の唐沢の滝に始まり、月山、戸台、荒川出合、そしてこの三連休の米子不動で、そこそこ成果をあげることができました。
何といっても、Ⅴ+からⅥというグレードの氷を、ある程度落ち着いてリードできるようになったのが、個人的には一番うれしく、目標としているアルパインルートに近づけたかな、という気がしています。
氷も、仕事と同じで、訓練と、経験です。いや氷だけではなく、ヤマも仕事も、およそ全て、訓練と経験です。
なぜなら、ヤマも仕事(弁護士業)も、その真髄は判断の塊だからです。瞬時にして状況を把握して冷静に正しい判断を下す。言語化する前に判断し、のちに、その判断の理由をきちんと言語化する。
この作業の繰り返しです。
ヤマは危険です。ヤマで死にたくない、怪我をしたくないなっら、ヤマに入らないのが一番だ。そういう判断も、十分にあり得る判断です。
一方、ヤマに入るのであれば、徹底して入らないと、逆に危険、中途半端にヤマに手を出すのが、一番危険だ、と私は考えます。
なぜなら、毎週山に入ってこそ、今の自分の実力や、今の自分の体調、今日の天気やヤマの状況がどの程度、どうなのか、今日のこの状況の中で、今日のこの自分が、いま、どこまでいけるか。を正しく把握し、判断できるからです。
これが、2か月もヤマに入っていなければ、今日の自分の体調や精神状態、今日の山の状況がどの程度どうなのか、について、どこまで正確に把握できるか、大いに疑問です。やむを得ずそうなる場合には、非常にアンダーな行動を心掛けねばなりません。自分が思っているより、自分が動けないからです。
今季こうやって山行を重ねてきて、自分のクライミングの上達と、そして今の自分の限界が見えたことは、うれしくもあり、同時に、今の自分の未熟さも知りました。
この現実の上に立って、地道に山行を続けていこうと思います。
仕事も同じです。こうやって仕事を続けてきて、今の自分が到達した地点を把握し、そしてまだ自分が到達していない点が見えます。
この現実の上に立って、一歩でも、半歩でも、上へ、歩んでいこうとおもうのです。
今季のアイスクライミングは、1月2日の唐沢の滝に始まり、月山、戸台、荒川出合、そしてこの三連休の米子不動で、そこそこ成果をあげることができました。
何といっても、Ⅴ+からⅥというグレードの氷を、ある程度落ち着いてリードできるようになったのが、個人的には一番うれしく、目標としているアルパインルートに近づけたかな、という気がしています。
氷も、仕事と同じで、訓練と、経験です。いや氷だけではなく、ヤマも仕事も、およそ全て、訓練と経験です。
なぜなら、ヤマも仕事(弁護士業)も、その真髄は判断の塊だからです。瞬時にして状況を把握して冷静に正しい判断を下す。言語化する前に判断し、のちに、その判断の理由をきちんと言語化する。
この作業の繰り返しです。
ヤマは危険です。ヤマで死にたくない、怪我をしたくないなっら、ヤマに入らないのが一番だ。そういう判断も、十分にあり得る判断です。
一方、ヤマに入るのであれば、徹底して入らないと、逆に危険、中途半端にヤマに手を出すのが、一番危険だ、と私は考えます。
なぜなら、毎週山に入ってこそ、今の自分の実力や、今の自分の体調、今日の天気やヤマの状況がどの程度、どうなのか、今日のこの状況の中で、今日のこの自分が、いま、どこまでいけるか。を正しく把握し、判断できるからです。
これが、2か月もヤマに入っていなければ、今日の自分の体調や精神状態、今日の山の状況がどの程度どうなのか、について、どこまで正確に把握できるか、大いに疑問です。やむを得ずそうなる場合には、非常にアンダーな行動を心掛けねばなりません。自分が思っているより、自分が動けないからです。
今季こうやって山行を重ねてきて、自分のクライミングの上達と、そして今の自分の限界が見えたことは、うれしくもあり、同時に、今の自分の未熟さも知りました。
この現実の上に立って、地道に山行を続けていこうと思います。
仕事も同じです。こうやって仕事を続けてきて、今の自分が到達した地点を把握し、そしてまだ自分が到達していない点が見えます。
この現実の上に立って、一歩でも、半歩でも、上へ、歩んでいこうとおもうのです。
2022年01月31日
遭難の原因とトラブルの原因
先日ある方に、山で、これは死ぬぞ、というような目に遭ったことはありますか、と聞かれ、うーん、
まあ、人並みに?滑落したこともあれば、
人並みに?下山遅れをしたこともあるなあ、といろいろ思い起こしたのですが、一番、死に近かったのは、私ではなくて相方がめっちゃ激しく落ちたときでした。
この時我々はある沢を遡行しており、最後の核心の大滝に差し掛かっていました。私は、この滝はノーザイルで登れると思った。相方もそう思ったのでしょう。二人とも特に言葉を交わすこともなくそれぞれ滝に取り付きました。私が先行です。
正直相方の方が、私より登るのは全然、うまい。だから私は、自分が登れるところで相方が落ちるなんて、夢にも思いませんでした。ところが落ちたんです。
私は先に落ち口につき、振り返って相方(姿は見えていないが、滝の下部に向かって)に、おーい抜けたぞ、と叫びました。ところが、相方が上がってこない。1分経ち、3分経っても、上がってこない。私は不安になり、様子を見に行こうと下降を開始しました。そして10mほどくだったところで「落ちた!ザイルをくれ!」という、相方の叫び声を聞いたのです。
この時の動揺は言葉に表すこともできません。30mは優に超える大滝です。落ちたのなら即死、良くて骨折。とうとうやってしまったか、と思いました。
幸い、相方は奇跡的にグランフォールしておらず、全身打撲でうめいていましたが骨も折っておらず、なんとか自力で下山できたんです。
この時、私はめっちゃくちゃ反省しました。
もし、これが会の若者を連れていく山行であったなら、私は必ず大滝の前で、・ザイルはいるか(要らないと言っても出しますが・・・)。・リードするか。・リードするならどういうタクティクスで登るか。・リードしないなら、私がリードするが、私はこういうタクティクスで行くから、ビレイを頼む。などなどと、きちんと話し合っていたでしょう。
そしてそれをしていれば、おそらくこの事故は起きていなかった。相方が身内だという安心感や、まあ、相方は落ちないだろうという認識の甘さ。そして、
大した滝ではない。これくらい、いける。言葉を交わす必要もない。という、コミュニケーションの不足、ひいては確認の不足が招いた事故でした。
数多くの事故を見てきましたが、その大半は、コミュニケーションの不足と、山に対する見積もりの甘さ、つまり雪崩やら落石やら、増水やら低温やら、下山に要する時間やら、それらもろもろを「甘く見積もった」結果が招いています。これは間違いないと思う。
ところでこれって、事件の大半に共通する原因でもあるんです。コミュニケーションの不足と、認識の甘さ。あるいは、甘え。
多くのご夫婦の、あるいは会社の、あるいはご家族の紛争は、この二つが原因で起こります。ちょっとしたコミュニケーションの不足。ちょっとした、認識の甘さ。これくらい大したことないだろ、という勝手な思い込み、などなど。
だから、ヤマであろうとなかろうと、言葉を惜しんではいけないのです。そして、リスクを甘く見積もらず、アンダーに、アンダーに行動していくほかない。それが自分を守ることでありまた自分の愛するものを守ること、そのものなのです。
慣れれば慣れるほど、慢心は出ます。これくらい、と思ってしまう。ヤマでも、事件処理でも、人生でも同じことです。
常に、細心の注意を。それはとっても難しいことですし、人間はだれしもミスがあるものです。ただ、「人間だもの」というのは、いざという時の言い訳には、なりません。
まあ、人並みに?滑落したこともあれば、
人並みに?下山遅れをしたこともあるなあ、といろいろ思い起こしたのですが、一番、死に近かったのは、私ではなくて相方がめっちゃ激しく落ちたときでした。
この時我々はある沢を遡行しており、最後の核心の大滝に差し掛かっていました。私は、この滝はノーザイルで登れると思った。相方もそう思ったのでしょう。二人とも特に言葉を交わすこともなくそれぞれ滝に取り付きました。私が先行です。
正直相方の方が、私より登るのは全然、うまい。だから私は、自分が登れるところで相方が落ちるなんて、夢にも思いませんでした。ところが落ちたんです。
私は先に落ち口につき、振り返って相方(姿は見えていないが、滝の下部に向かって)に、おーい抜けたぞ、と叫びました。ところが、相方が上がってこない。1分経ち、3分経っても、上がってこない。私は不安になり、様子を見に行こうと下降を開始しました。そして10mほどくだったところで「落ちた!ザイルをくれ!」という、相方の叫び声を聞いたのです。
この時の動揺は言葉に表すこともできません。30mは優に超える大滝です。落ちたのなら即死、良くて骨折。とうとうやってしまったか、と思いました。
幸い、相方は奇跡的にグランフォールしておらず、全身打撲でうめいていましたが骨も折っておらず、なんとか自力で下山できたんです。
この時、私はめっちゃくちゃ反省しました。
もし、これが会の若者を連れていく山行であったなら、私は必ず大滝の前で、・ザイルはいるか(要らないと言っても出しますが・・・)。・リードするか。・リードするならどういうタクティクスで登るか。・リードしないなら、私がリードするが、私はこういうタクティクスで行くから、ビレイを頼む。などなどと、きちんと話し合っていたでしょう。
そしてそれをしていれば、おそらくこの事故は起きていなかった。相方が身内だという安心感や、まあ、相方は落ちないだろうという認識の甘さ。そして、
大した滝ではない。これくらい、いける。言葉を交わす必要もない。という、コミュニケーションの不足、ひいては確認の不足が招いた事故でした。
数多くの事故を見てきましたが、その大半は、コミュニケーションの不足と、山に対する見積もりの甘さ、つまり雪崩やら落石やら、増水やら低温やら、下山に要する時間やら、それらもろもろを「甘く見積もった」結果が招いています。これは間違いないと思う。
ところでこれって、事件の大半に共通する原因でもあるんです。コミュニケーションの不足と、認識の甘さ。あるいは、甘え。
多くのご夫婦の、あるいは会社の、あるいはご家族の紛争は、この二つが原因で起こります。ちょっとしたコミュニケーションの不足。ちょっとした、認識の甘さ。これくらい大したことないだろ、という勝手な思い込み、などなど。
だから、ヤマであろうとなかろうと、言葉を惜しんではいけないのです。そして、リスクを甘く見積もらず、アンダーに、アンダーに行動していくほかない。それが自分を守ることでありまた自分の愛するものを守ること、そのものなのです。
慣れれば慣れるほど、慢心は出ます。これくらい、と思ってしまう。ヤマでも、事件処理でも、人生でも同じことです。
常に、細心の注意を。それはとっても難しいことですし、人間はだれしもミスがあるものです。ただ、「人間だもの」というのは、いざという時の言い訳には、なりません。
2022年01月25日
事業と伴走者
「弊社がアナタの新規事業を伴走します!」と謳って、崖?岩山?から滑落しかけたビジネスマン(新規事業経営者?)に上からもう一人のビジネスマンが手を差し伸べ、引っ張り上げるシーンの映像を流している広告があるのですが、
まあ、この稼業をしていると、事業の伴走者ってのは得てして、いざって時に手を伸ばして滑落を防ぐどころか、もうちょいで頂上というところでパートナーを突き飛ばして自分が登頂をかすめ取ったり、
ふらふらし始めたパートナーを突き飛ばして自分だけ安全圏に逃げたり、
さらにいうとパートナーから食料や衣料を奪い身ぐるみはがして消え去ったり、
するもんでして、まあ伴走者がいればいいってもんではありません。
途中までは伴走者とうまくいっていても、、いざゴール(大金や大成功)を目の前にしたら仲間割れ。というのはすごくよくあることです。
新規事業だろうと、なんだろうと、経営というのは、クライミングで言うとリードです。しかも、残置もなく、トポもなく、周りはぼんやりとガスっているなかで、これでいいよね?これでいいんだよな?と不安を抱えながら一人で支点を作り、一歩一歩を確実にしていく、そういうリードです。
しかも自分がミスって滑落したら、自分とザイルがつながっているメンバー(会社のスタッフとか)が、全員落ちるか、下山不能になる可能性が高い。
それでも、私は、自分が信じた人とザイルを組むことには、限りない価値があるとは思います。それは、支えあい助け合うことができれば、たしかに、二人の力は足し算ではなく掛け算のように倍増していくことがあるからです。それは、クライミングでも、経営でも、、です。
だから、まあ、リスクはあるが、それでもたしかにい伴走者はいた方がいい、ってのが私の考えです。でも、その伴走者と何で結ばれているかですよね。企業が、他者の事業に手を差し伸べるには、理由があります。もちろんかねです。それ以外には、ありません。
カネが動機で結ばれた関係は、カネで崩れます。これはまたごく当たり前のことです。
まあ、この稼業をしていると、事業の伴走者ってのは得てして、いざって時に手を伸ばして滑落を防ぐどころか、もうちょいで頂上というところでパートナーを突き飛ばして自分が登頂をかすめ取ったり、
ふらふらし始めたパートナーを突き飛ばして自分だけ安全圏に逃げたり、
さらにいうとパートナーから食料や衣料を奪い身ぐるみはがして消え去ったり、
するもんでして、まあ伴走者がいればいいってもんではありません。
途中までは伴走者とうまくいっていても、、いざゴール(大金や大成功)を目の前にしたら仲間割れ。というのはすごくよくあることです。
新規事業だろうと、なんだろうと、経営というのは、クライミングで言うとリードです。しかも、残置もなく、トポもなく、周りはぼんやりとガスっているなかで、これでいいよね?これでいいんだよな?と不安を抱えながら一人で支点を作り、一歩一歩を確実にしていく、そういうリードです。
しかも自分がミスって滑落したら、自分とザイルがつながっているメンバー(会社のスタッフとか)が、全員落ちるか、下山不能になる可能性が高い。
それでも、私は、自分が信じた人とザイルを組むことには、限りない価値があるとは思います。それは、支えあい助け合うことができれば、たしかに、二人の力は足し算ではなく掛け算のように倍増していくことがあるからです。それは、クライミングでも、経営でも、、です。
だから、まあ、リスクはあるが、それでもたしかにい伴走者はいた方がいい、ってのが私の考えです。でも、その伴走者と何で結ばれているかですよね。企業が、他者の事業に手を差し伸べるには、理由があります。もちろんかねです。それ以外には、ありません。
カネが動機で結ばれた関係は、カネで崩れます。これはまたごく当たり前のことです。
2022年01月18日
どんなあほでも東大に入る方法
我が母校が何やらニュースになって騒がしいですが、
東大に入る方法はたったひとつだけです。
勉強することです。
それ以外にありません。
断っときますが私の餓鬼の頃の成績なんてさんさんたるものですよ。
小学生の時の通信簿で、「よくできる」なんてほとんどとってません。私は、そもそも頭のいい人間ではない。そのことは自分が一番よく知ってます。それでも東大にはいれたのは、ずばり、勉強したからです。
私は高校2年生の秋から、ずっと、毎日、14時間以上勉強してきました。
24時間のうち、8時間は、眠ったり、風呂に入ったり、食事をする時間。
残りの16時間のうち、2時間は、通学など移動に使う時間。
とすると、残り14時間は絶対に勉強できます。そう決めて、そうしてきました。東大入試のその日まで。
だいたい15か月、つまり450日、毎日14時間も勉強すりゃあどんなあほでもたいがい東大くらいには入れるんです。
世の中にはもっと楽々東大に入る方もたくさんいますが私はそういう頭のいい人間ではなかったので、ともかく勉強するしかありませんでした。
まあ14時間はないとしても毎日10時間は絶対に勉強できるはずです。というか、他に何かすることありますかね、高校生って。ないでしょ。
450日、10時間勉強できない子は、東大に入れないのではなく、そもそも東大に入る気がないのです。
ただ、高校生が1日10時間勉強を維持するには、ご両親の協力が必要不可欠です。
母と父は、私のこの厳格なルール維持に全力で協力してくれました。白状しますが、私、その時は「受験生の親なんだから協力して当然」と思ってました。ぶっちゃけ当時はあんま、感謝してなかった。
ですが、今思うと、それは父と母にとっても非常に大きな犠牲でした。
何も惜しまずに、1年以上、娘の受験勉強に協力してきた父母に、いまは本当に心から感謝しています。それは、いま、東大に入って本当に良かったと思っているからです。それは東大がとても楽しかっただけではなく、東大に入らなければ司法試験を受けることもなく、弁護士になることもなかったでしょう。
なので、東大を目指す皆さんは、何事も惜しまずに勉強してください。すりゃあ、受かります。しなければ受かりません。それだけです。
東大に入る方法はたったひとつだけです。
勉強することです。
それ以外にありません。
断っときますが私の餓鬼の頃の成績なんてさんさんたるものですよ。
小学生の時の通信簿で、「よくできる」なんてほとんどとってません。私は、そもそも頭のいい人間ではない。そのことは自分が一番よく知ってます。それでも東大にはいれたのは、ずばり、勉強したからです。
私は高校2年生の秋から、ずっと、毎日、14時間以上勉強してきました。
24時間のうち、8時間は、眠ったり、風呂に入ったり、食事をする時間。
残りの16時間のうち、2時間は、通学など移動に使う時間。
とすると、残り14時間は絶対に勉強できます。そう決めて、そうしてきました。東大入試のその日まで。
だいたい15か月、つまり450日、毎日14時間も勉強すりゃあどんなあほでもたいがい東大くらいには入れるんです。
世の中にはもっと楽々東大に入る方もたくさんいますが私はそういう頭のいい人間ではなかったので、ともかく勉強するしかありませんでした。
まあ14時間はないとしても毎日10時間は絶対に勉強できるはずです。というか、他に何かすることありますかね、高校生って。ないでしょ。
450日、10時間勉強できない子は、東大に入れないのではなく、そもそも東大に入る気がないのです。
ただ、高校生が1日10時間勉強を維持するには、ご両親の協力が必要不可欠です。
母と父は、私のこの厳格なルール維持に全力で協力してくれました。白状しますが、私、その時は「受験生の親なんだから協力して当然」と思ってました。ぶっちゃけ当時はあんま、感謝してなかった。
ですが、今思うと、それは父と母にとっても非常に大きな犠牲でした。
何も惜しまずに、1年以上、娘の受験勉強に協力してきた父母に、いまは本当に心から感謝しています。それは、いま、東大に入って本当に良かったと思っているからです。それは東大がとても楽しかっただけではなく、東大に入らなければ司法試験を受けることもなく、弁護士になることもなかったでしょう。
なので、東大を目指す皆さんは、何事も惜しまずに勉強してください。すりゃあ、受かります。しなければ受かりません。それだけです。
2022年01月13日
久々に山のハナシをvol2~仙涯嶺
仙涯嶺、ってのはヤマヤでもあまり聞き覚えがない名前かもしれませんが、中央アルプスの、越百山と南駒の間にある岩峰群で、そこに、所属山岳会の若者二人をつれて、そして還暦越えの大ベテランにサブリーダーをお願いして、行って来ました。
最初がながーい林道歩きで若者二人は飛ぶように歩くのですが、大ベテランはだいぶお疲れのご様子で遅れが出ます。
ところが、尾根に取り付いて激ラッセルが始まった瞬間、大ベテランはいきなり勢いをとりもどし、どんどんトップでラッセルを進めます。
これには驚きました。ラッセルにはラッセルのコツというか、ワザがあるのですが、やはり熟練のワザというのは凄いものです。体力だけでは太刀打ちできないものがあります。
ともかくまあ大変なラッセルでしたが、若者二人も大変よく奮闘してくれて、おかげさまで無事に小屋につきまして、そこで幕営。
2日目は越百山を越えて仙涯嶺を目指します。仙涯嶺から南駒までの間はルーファイが核心で、ザイルを出して岩峰を巻いたり登ったりしながら進みます。これ、もうトポなんてあてになりません。雪のつき方次第で一番良いルートを探すっきゃない。
ちょうど南駒の、山頂直下に風をよけられる素敵なテンバがあり、そこに張って二日目終了。
三日目は南駒を越え、一回の懸垂とtいくつかの小ピークを越えて樹林帯に入り、林道にもどりました。
この、越百山から仙涯嶺、そして南駒の周遊ルート、私は初めて行きましたが、雪稜の入門としてとてもいいルートだと感じました。
ラッセルあり、トラバース、クライムダウン、懸垂あり、ルーファイあり、また、稜線の強風体験もあり、雪山3年生くらいで、かつ、これからアルパインに進みたい若者にはベストではないでしょうか。
ただ、初級者だけで行くのはお勧めできません。仙涯嶺を越えてしまうと、もうエスケープはできません。今回は大ベテランがいろいろと助けてくださったので、若者たちに目を配りながら進むことができましたが、それでも、もう少しザイルを出せばよかったなと後悔している箇所もありました。
とはいえ、天気も良く、良い山行でした。

最初がながーい林道歩きで若者二人は飛ぶように歩くのですが、大ベテランはだいぶお疲れのご様子で遅れが出ます。
ところが、尾根に取り付いて激ラッセルが始まった瞬間、大ベテランはいきなり勢いをとりもどし、どんどんトップでラッセルを進めます。
これには驚きました。ラッセルにはラッセルのコツというか、ワザがあるのですが、やはり熟練のワザというのは凄いものです。体力だけでは太刀打ちできないものがあります。
ともかくまあ大変なラッセルでしたが、若者二人も大変よく奮闘してくれて、おかげさまで無事に小屋につきまして、そこで幕営。
2日目は越百山を越えて仙涯嶺を目指します。仙涯嶺から南駒までの間はルーファイが核心で、ザイルを出して岩峰を巻いたり登ったりしながら進みます。これ、もうトポなんてあてになりません。雪のつき方次第で一番良いルートを探すっきゃない。
ちょうど南駒の、山頂直下に風をよけられる素敵なテンバがあり、そこに張って二日目終了。
三日目は南駒を越え、一回の懸垂とtいくつかの小ピークを越えて樹林帯に入り、林道にもどりました。
この、越百山から仙涯嶺、そして南駒の周遊ルート、私は初めて行きましたが、雪稜の入門としてとてもいいルートだと感じました。
ラッセルあり、トラバース、クライムダウン、懸垂あり、ルーファイあり、また、稜線の強風体験もあり、雪山3年生くらいで、かつ、これからアルパインに進みたい若者にはベストではないでしょうか。
ただ、初級者だけで行くのはお勧めできません。仙涯嶺を越えてしまうと、もうエスケープはできません。今回は大ベテランがいろいろと助けてくださったので、若者たちに目を配りながら進むことができましたが、それでも、もう少しザイルを出せばよかったなと後悔している箇所もありました。
とはいえ、天気も良く、良い山行でした。
2021年12月24日
子が拒んでいるにもかかわらず母と子の面会交流を認容した家裁の保全処分について
おそらく12~13歳くらいで、今、父親に監護されているお子さんが、母と会いたくないと言っている案件において、母と会わせよ、という保全命令が出て、父が抗告したが棄却された、という事案です。仙台家裁が原審、抗告審が仙台高裁ですね。
これはなかなか味わい深い保全命令です。
前提として、母が末期がんであること、どうやら父が何らかの宗教に凝っていて、お子さんもその影響を受けているらしい、という事実関係が見て取れます。その上で裁判所は、お子さんが母親に会いたくないと言っているのは、今お子さんの身近にいる大人たち(父や宗教関係者含む)の影響である、いまお子さんが自ら母に会う機会を拒絶したとなれば、お子さんの将来に取り返しのつかない悔いを残すことになりかねないとして、「母親の病状に鑑みれば、お子さんの福祉のため、早期に面会交流を実施させるべき」という判断を示しました。
へええええー。というい感じです。これ、父母が逆だったとしも、裁判所、同じように言ってくれるのでしょうかね。父と子の面会交流にはだいぶ、やる気ない感じですけどね、東京家裁は。
私は面会交流について、延々と調停でやることにあまり意味があるとは思っていません。というか面会交流は、本来法律家が扱える域を超えてると感じています。我々条文屋さんであり喧嘩屋さんであって、お子さんの心理とかの専門家じゃないんで。
ともかく面会交流の調停はもめて長引くのですが、確実に増えてきています。なので、これが家裁をめっちゃ圧迫していて、家裁を萎えさせているというか、もう家裁が疲れ果ててやる気を失っているように感じるんですよね。違ったらごめんなさい、家裁のひと。
わたしゃ、面会交流は、家裁からちょいと独立させて別の機関を作るべきだと思うんですよね。ほら、東京地裁から執行センターがちょいと独立(独立じゃないけど、まあ、半分独立したようなもんです)したように。もっとがっちり専門家を入れて。調停委員より必要なのは調査官ですしね。
父も母も本来的には子の幸せを願っているんです。調査官も調停委員も、我々も。それでもなぜかうまくいかない。家族というのはなかなか、難しいもんです。
これはなかなか味わい深い保全命令です。
前提として、母が末期がんであること、どうやら父が何らかの宗教に凝っていて、お子さんもその影響を受けているらしい、という事実関係が見て取れます。その上で裁判所は、お子さんが母親に会いたくないと言っているのは、今お子さんの身近にいる大人たち(父や宗教関係者含む)の影響である、いまお子さんが自ら母に会う機会を拒絶したとなれば、お子さんの将来に取り返しのつかない悔いを残すことになりかねないとして、「母親の病状に鑑みれば、お子さんの福祉のため、早期に面会交流を実施させるべき」という判断を示しました。
へええええー。というい感じです。これ、父母が逆だったとしも、裁判所、同じように言ってくれるのでしょうかね。父と子の面会交流にはだいぶ、やる気ない感じですけどね、東京家裁は。
私は面会交流について、延々と調停でやることにあまり意味があるとは思っていません。というか面会交流は、本来法律家が扱える域を超えてると感じています。我々条文屋さんであり喧嘩屋さんであって、お子さんの心理とかの専門家じゃないんで。
ともかく面会交流の調停はもめて長引くのですが、確実に増えてきています。なので、これが家裁をめっちゃ圧迫していて、家裁を萎えさせているというか、もう家裁が疲れ果ててやる気を失っているように感じるんですよね。違ったらごめんなさい、家裁のひと。
わたしゃ、面会交流は、家裁からちょいと独立させて別の機関を作るべきだと思うんですよね。ほら、東京地裁から執行センターがちょいと独立(独立じゃないけど、まあ、半分独立したようなもんです)したように。もっとがっちり専門家を入れて。調停委員より必要なのは調査官ですしね。
父も母も本来的には子の幸せを願っているんです。調査官も調停委員も、我々も。それでもなぜかうまくいかない。家族というのはなかなか、難しいもんです。
2021年11月22日
菌類との対話に関する覚書
今年はまれにみるきのこ不作の年と言われていますが、ようやくぼちぼちある程度、きのこが出てまいりました。
以下は完全に私的な、「キノコ採り覚書」です。
・当たり前のことだが、いつもきのこが出る場所に毎年きのこが出るとは限らない。日常はいつまでも続くものではない。今あることに感謝すべし。
・すぐにきのこが出ないからと言って諦めない。「ここ無いから次の個所いこ」などとやっていると結局移動にばかり時間がかかってきのこと出会えないし、そのヤマ全体を知ることもできなくなる。次々にパートナーを取り換えてもろくなことは無いのと同じです。
・きのこがないからつまらない、などとヤマに文句を言わない。きのこが有ろうとなかろうと山はヤマです。ヤマはヤマであるだけで十分なのです。求めすぎて不満を言ってはいけません。これもパートナーにあれこれ求めすぎて不満を言ってはいけないのとおなじです。きのこを探せるだけで幸せなのです。パートナーがそこにいてくれるだけで十分なのと同じです。
きのこなかったけど楽しい山歩きだったな、と思えるくらいのココロの余裕を。
・きのこに挨拶すること。せっかくきのこがそこにいてくれたのです。声もかけずに襲い掛かったりしてはいけません。そこにきのこがいてくれたことに感謝し、それをきのこに伝えましょう。大切に心を込めて採取しましょう。
きのこは偉大な生物です。キノコを採ることでそのヤマを深く知ることができるのみならず、山のありがたさや奥深さ、危険性までも、より、深くわかることができるようになります。きのこは山歩きを、非常に充実した、色どり鮮やかなものにしてくれます。
さいごに、採ったきのこはその日のうちに処理しましょう。必ず取った本人が処理しましょう。少なくとも水につけてだいたいの汚れを取るくらいのところまではその日のうちにやりましょう。でないと翌日がしんどい。これはキノコを採る人はみなご存じのことと思います。腰が痛くなっても、手が冷たくかじかんでも、徹夜してでも、採ったきのこはきちんと処理をすることです。これはまあ人生のけじめみたいなもんですし、きのこに対する礼儀でもあると思っています。

以下は完全に私的な、「キノコ採り覚書」です。
・当たり前のことだが、いつもきのこが出る場所に毎年きのこが出るとは限らない。日常はいつまでも続くものではない。今あることに感謝すべし。
・すぐにきのこが出ないからと言って諦めない。「ここ無いから次の個所いこ」などとやっていると結局移動にばかり時間がかかってきのこと出会えないし、そのヤマ全体を知ることもできなくなる。次々にパートナーを取り換えてもろくなことは無いのと同じです。
・きのこがないからつまらない、などとヤマに文句を言わない。きのこが有ろうとなかろうと山はヤマです。ヤマはヤマであるだけで十分なのです。求めすぎて不満を言ってはいけません。これもパートナーにあれこれ求めすぎて不満を言ってはいけないのとおなじです。きのこを探せるだけで幸せなのです。パートナーがそこにいてくれるだけで十分なのと同じです。
きのこなかったけど楽しい山歩きだったな、と思えるくらいのココロの余裕を。
・きのこに挨拶すること。せっかくきのこがそこにいてくれたのです。声もかけずに襲い掛かったりしてはいけません。そこにきのこがいてくれたことに感謝し、それをきのこに伝えましょう。大切に心を込めて採取しましょう。
きのこは偉大な生物です。キノコを採ることでそのヤマを深く知ることができるのみならず、山のありがたさや奥深さ、危険性までも、より、深くわかることができるようになります。きのこは山歩きを、非常に充実した、色どり鮮やかなものにしてくれます。
さいごに、採ったきのこはその日のうちに処理しましょう。必ず取った本人が処理しましょう。少なくとも水につけてだいたいの汚れを取るくらいのところまではその日のうちにやりましょう。でないと翌日がしんどい。これはキノコを採る人はみなご存じのことと思います。腰が痛くなっても、手が冷たくかじかんでも、徹夜してでも、採ったきのこはきちんと処理をすることです。これはまあ人生のけじめみたいなもんですし、きのこに対する礼儀でもあると思っています。

2021年10月28日
腱鞘炎が地味に痛い。
左手が腱鞘炎なんです。
時どき、なるんです。
今回はけっこうひどくて、サポーターと、シップで対処しているのですが今一つ良くなりません。
これは、仕事のし過ぎに違いない。弟弁に慰めてもらおう。ついでに事件ももっと彼に押し付けてしまえ。
と思い、彼に対して、左手が痛いのだよ、ということを愚痴ったのですが、いともあっさり「クライミングのし過ぎですよ。山に行かない方がいいですよ。もっと仕事しましょう」と言われただけで全く同情してもらえませんでした。冷たいものです。
ここ数日、親指の付け根が地味に痛くて、キーボード打つのが難儀なのです。でもクライミングはできます。
これはもうこれ以上仕事するべからずという神様のお告げでしょうか。。。。でもお客さん待ってますしね。。。
早く痛みがひいてほしいものであります。
時どき、なるんです。
今回はけっこうひどくて、サポーターと、シップで対処しているのですが今一つ良くなりません。
これは、仕事のし過ぎに違いない。弟弁に慰めてもらおう。ついでに事件ももっと彼に押し付けてしまえ。
と思い、彼に対して、左手が痛いのだよ、ということを愚痴ったのですが、いともあっさり「クライミングのし過ぎですよ。山に行かない方がいいですよ。もっと仕事しましょう」と言われただけで全く同情してもらえませんでした。冷たいものです。
ここ数日、親指の付け根が地味に痛くて、キーボード打つのが難儀なのです。でもクライミングはできます。
これはもうこれ以上仕事するべからずという神様のお告げでしょうか。。。。でもお客さん待ってますしね。。。
早く痛みがひいてほしいものであります。