2022年02月24日
ひとが成長する、ということ
誰かと一緒にヤマに行くと、相手が経験者であれ初心者であれ、非常に勉強になります。
自分より経験のない人と行くときは、その人のひとつひとつの動きや、表情を見て、
「ここはこうしてあげればよかったかな」とか、「こういうふうに指示してあげた方が判りやすかったかな」とかおもいますし、
先輩と一緒に行くときは、先輩のひとつひとつの動作や、動きを見ていると、やはり自分と違いますし、自分の悪いところや直すべきところが見えてきます。
例えばロープの畳み方ひとつ、例えばギアの扱い方ひとつ、例えばテントの張り方ひとつとっても、自分とは違う点があり、それにはそれなりの理由があり、もちろん、うん、自分は自分のやり方の方が好きだなあ、と思うこともありますが、たいていの場合には、経験のある、長いこと、ヤマで生き残ってきている先輩たちの動作のほうが、理にかなっている。
つまり自分の登り方の癖や、欠点、というのは、誰かと一緒に登って初めてより浮彫になってくるのですが、
その、「自分の登り方の癖や欠点」というのが、少し振り返ると、怖ろしいくらい、自分の性格上の欠点や、自分の仕事上の欠点とつながっているのです。それは本当に、時々ぞっとするほど、自分の登り方の欠点や癖が、正直に、私の性格上の、また仕事上の、欠点や癖を現している。と思います。
で、登攀上の欠点や癖は、一歩間違えば命にかかわる重大事故につながるわけですから、当然、注意して直そう、と思うわけです。それは仕事上の欠点も同じで、よりきちんとお客さんが満足してくださる仕事をするためには、当然、自分の欠点を注意して直そう。と思うわけです。
そして、性格上の欠点、仕事上の欠点、登攀上の欠点、が、もし、本当につながっているのなら。
仕事上の欠点と登攀上の欠点を直していくことで自分の性格上の欠点も、、もしかしたら直すことができるのかもしれません。なんてったって、これが一番直しにくい欠点ですからね。
そして、ひとは、そうやって成長していくのではないか、と時々思います。
だから、仕事も登攀も人生も、独りで歩むよりは、誰かと歩いた方が、ひとは、成長するのでしょう。
私はこの20年間を振り返って、めちゃめちゃ、仕事に助けられ、教えられてきたと思います。仕事が私を育てました。同時に、めちゃめちゃ、ヤマに助けられ、ヤマに教えられてきた、ヤマに、育てられてきた。とも思います。
それは同時に、たくさんの方に助けられ、教えられ、育ててきていた、ということなのだろうと思うのです。
自分より経験のない人と行くときは、その人のひとつひとつの動きや、表情を見て、
「ここはこうしてあげればよかったかな」とか、「こういうふうに指示してあげた方が判りやすかったかな」とかおもいますし、
先輩と一緒に行くときは、先輩のひとつひとつの動作や、動きを見ていると、やはり自分と違いますし、自分の悪いところや直すべきところが見えてきます。
例えばロープの畳み方ひとつ、例えばギアの扱い方ひとつ、例えばテントの張り方ひとつとっても、自分とは違う点があり、それにはそれなりの理由があり、もちろん、うん、自分は自分のやり方の方が好きだなあ、と思うこともありますが、たいていの場合には、経験のある、長いこと、ヤマで生き残ってきている先輩たちの動作のほうが、理にかなっている。
つまり自分の登り方の癖や、欠点、というのは、誰かと一緒に登って初めてより浮彫になってくるのですが、
その、「自分の登り方の癖や欠点」というのが、少し振り返ると、怖ろしいくらい、自分の性格上の欠点や、自分の仕事上の欠点とつながっているのです。それは本当に、時々ぞっとするほど、自分の登り方の欠点や癖が、正直に、私の性格上の、また仕事上の、欠点や癖を現している。と思います。
で、登攀上の欠点や癖は、一歩間違えば命にかかわる重大事故につながるわけですから、当然、注意して直そう、と思うわけです。それは仕事上の欠点も同じで、よりきちんとお客さんが満足してくださる仕事をするためには、当然、自分の欠点を注意して直そう。と思うわけです。
そして、性格上の欠点、仕事上の欠点、登攀上の欠点、が、もし、本当につながっているのなら。
仕事上の欠点と登攀上の欠点を直していくことで自分の性格上の欠点も、、もしかしたら直すことができるのかもしれません。なんてったって、これが一番直しにくい欠点ですからね。
そして、ひとは、そうやって成長していくのではないか、と時々思います。
だから、仕事も登攀も人生も、独りで歩むよりは、誰かと歩いた方が、ひとは、成長するのでしょう。
私はこの20年間を振り返って、めちゃめちゃ、仕事に助けられ、教えられてきたと思います。仕事が私を育てました。同時に、めちゃめちゃ、ヤマに助けられ、ヤマに教えられてきた、ヤマに、育てられてきた。とも思います。
それは同時に、たくさんの方に助けられ、教えられ、育ててきていた、ということなのだろうと思うのです。