2023年11月24日
キノコ狩り
ものすごくどうでもいいことですが、私は11月の週末は、ほとんどすべて、キノコ狩りに費やします。
狙いは、主になめこです。
普通のクライマーは、11月のこの時期、つまり沢登には遅く雪山には早いこの時期を、フリークライミングに費やすのでしょうが、私はなめこに費やすんです。道理で、クライミングがへたくそなままなわけだ、と自分でも思います。
ですが、やはり、キノコ狩りには、あらがえない魅力があります。
やっぱり人間、狩猟採集で暮らしていた古来から、「採集が楽しい」ものなのだろうと思います。特に、採取する対象が美しいものであるとなおさらです。
私は山菜もとりますし、ほかのキノコもとりますが、特に天然のなめこというのは、本当に目を見張るほど美しいものです。
そしてもうひとつ、この時期のぶな林というのは、本当に美しい。
葉がほとんど落ち、わずかに残った紅葉がぶなの白い肌に生える山は静けさに満ちていて、何物にも代えがたい美しさがあります。
その中をあてどなく歩いて、輝くような天然のなめこを発見するときは、充実の一瞬です。
まあ、お前腐ってもクライマーならこの時期ちゃんと岩に行けよ、と言われるのもごもっともなのですが。。。。
でも、なめこはね。格別です。格別だと思います。

狙いは、主になめこです。
普通のクライマーは、11月のこの時期、つまり沢登には遅く雪山には早いこの時期を、フリークライミングに費やすのでしょうが、私はなめこに費やすんです。道理で、クライミングがへたくそなままなわけだ、と自分でも思います。
ですが、やはり、キノコ狩りには、あらがえない魅力があります。
やっぱり人間、狩猟採集で暮らしていた古来から、「採集が楽しい」ものなのだろうと思います。特に、採取する対象が美しいものであるとなおさらです。
私は山菜もとりますし、ほかのキノコもとりますが、特に天然のなめこというのは、本当に目を見張るほど美しいものです。
そしてもうひとつ、この時期のぶな林というのは、本当に美しい。
葉がほとんど落ち、わずかに残った紅葉がぶなの白い肌に生える山は静けさに満ちていて、何物にも代えがたい美しさがあります。
その中をあてどなく歩いて、輝くような天然のなめこを発見するときは、充実の一瞬です。
まあ、お前腐ってもクライマーならこの時期ちゃんと岩に行けよ、と言われるのもごもっともなのですが。。。。
でも、なめこはね。格別です。格別だと思います。
2023年11月09日
頂き女子なのか、パパ活なのか。
頂き女子というのか、パパ活というのか、わかりませんが、まあ、この二つに特に定義があるわけではないので、
恐らくどちらでも、大きく間違ってはいないのでしょうが、
なんにせよ、男性に会って、その好意を知りながら(悪く言えばその好意に付け込んで。よく言えばその好意に甘えて、というのか)、
思わせぶりな言動をして金員をもらい続けていた、
という女性たちが、男性側から、
訴えられた、
とか、
訴えられそう。
とか言うご相談が、ここのところ急に、増えました。報道の影響でしょうかね。
多くの女性たちは、特に罪悪感などを持つこともなく、男性と会って、食事して、カネをもらっていた、、、ようで、
「なんでこんなことになっちゃったのかわからない」、などとおっしゃて、泣かれるのですが、
まあ、それはひとことでいうと、カネ、もらっちゃったからですよね。
おじさんと一回会って、飯食って、15万円とか、それって何の対価ですか、っていうことになるわけで、
これであなたがマックやコンビニでバイトして15万円もらったんならだれも何の文句も言わないでしょうけれど、
飯おごってもらってカネ貰うっていうのはやはり尋常ではないわけで、払う方の男性には当然、何らかの思い込みとか、期待とか好意とかいろいろあるわけです。女性側として、それを知りつつ、かつ、そういう思いを持たせつつ、それを維持させつつ、会い続け、カネをもらい続ける。
というのは、これが刑法上の詐欺になるとか、民法上の錯誤になるとか、そういうところまでいかなくても、まあ、道徳上よろしくないことであることはまちがいありません。
訴えられて、きちんと反論して争えば、女性側が勝てるだろうな、というケースも多々あります。これはちょっと男性側が早とちりしすぎだろう、というケースもあります。
ただ、裁判で、争えば勝てるかもしれないけれども、そういう道徳的にはいまいちなことをしてしまったがために、訴えられるに至った、ということは、理解していただきたいな、と、時々思います。
こういうご相談に見える女性は当然若い方が多いわけです。若いからこそ、いま、その、「道徳的にはいまいちなことをしてしまった」ということを、よく、ご理解いただければいいな。と、おもうのです。
恐らくどちらでも、大きく間違ってはいないのでしょうが、
なんにせよ、男性に会って、その好意を知りながら(悪く言えばその好意に付け込んで。よく言えばその好意に甘えて、というのか)、
思わせぶりな言動をして金員をもらい続けていた、
という女性たちが、男性側から、
訴えられた、
とか、
訴えられそう。
とか言うご相談が、ここのところ急に、増えました。報道の影響でしょうかね。
多くの女性たちは、特に罪悪感などを持つこともなく、男性と会って、食事して、カネをもらっていた、、、ようで、
「なんでこんなことになっちゃったのかわからない」、などとおっしゃて、泣かれるのですが、
まあ、それはひとことでいうと、カネ、もらっちゃったからですよね。
おじさんと一回会って、飯食って、15万円とか、それって何の対価ですか、っていうことになるわけで、
これであなたがマックやコンビニでバイトして15万円もらったんならだれも何の文句も言わないでしょうけれど、
飯おごってもらってカネ貰うっていうのはやはり尋常ではないわけで、払う方の男性には当然、何らかの思い込みとか、期待とか好意とかいろいろあるわけです。女性側として、それを知りつつ、かつ、そういう思いを持たせつつ、それを維持させつつ、会い続け、カネをもらい続ける。
というのは、これが刑法上の詐欺になるとか、民法上の錯誤になるとか、そういうところまでいかなくても、まあ、道徳上よろしくないことであることはまちがいありません。
訴えられて、きちんと反論して争えば、女性側が勝てるだろうな、というケースも多々あります。これはちょっと男性側が早とちりしすぎだろう、というケースもあります。
ただ、裁判で、争えば勝てるかもしれないけれども、そういう道徳的にはいまいちなことをしてしまったがために、訴えられるに至った、ということは、理解していただきたいな、と、時々思います。
こういうご相談に見える女性は当然若い方が多いわけです。若いからこそ、いま、その、「道徳的にはいまいちなことをしてしまった」ということを、よく、ご理解いただければいいな。と、おもうのです。
2023年10月25日
ヤマでスカートをはくことの是非をめぐる論説について
女優さん?だかタレントさんが、ロングスカートをはいて山に登ったとか、
それが、ヤマをなめていると批判されたとか、
いやそれはトレイルスカートというものだ、トレイルスカートも知らないくせに批判なんてするなボケとか、
そういう、ネット上での話題を見て、つくづくと考えてみました。
別にヤマに登るのに決まった服装があるわけではありません。
なるべく安全で快適な服装で登れば、それでいいと思います。
私はヤマにスカートをはいて登ったことはありませんが、この話を聞いて、ヤマでスカートをはいたらどうなるか、ということをつらつらと考えてみましたが、結論としては、自分がヤマでロングスカートをはくかというと絶対にはかないだろうと思います。
前提として、岩や沢や雪山で、ロングスカートはあり得ない(ハーネスがはけない以上当然)ので、夏季の一般縦走路で考えてみます。
ひとつは、ロングスカートだと、fある程度の斜度の登降のときに裾を踏んで転倒する危険があるし、すれ違いの時にはすれ違う相手にも迷惑であるし、
また、足元が見えにくくなり転倒の危険もある。
また、何か不慮の事態が発生して、
いざ、ビバークって時にスカートだと、どこにでも勝手に寝っ転がれるって訳にもいかなさそうだし、だいたい、寒そうです。
何よりも、落ちたときにどうなるか、というと、まあ2メートルでもゴロゴロと落ちたら間違いなくスカートはまくれ上がってパンツ丸出しになるだろうし、
そうなると、それで動けない状態になったら、パンツ丸出しのままで救助を待つんか。。。ということになり、いや、それはちょっと、ヤマヤの落ち方としてどうなのかと思うのであります。
ちょっと、それはさすがにみっともないかなと。救助隊もたじたじでしょう。
まあ、自分は絶対急な登下降はしないし、転倒もしないし、落ちないし、ビバークもしない!
だからどうしてもスカートで登る!
というならそれはそれで、どうぞ、という話だと思います。
しかし、人間、意外とどこでも落ちられるもんですからね。高尾山でさえ、落ちる人はいるもんで。そういう意識は、持っておいた方がいいかなと。
なお、ヤマで、ロングではなく、腰巻みたいな、膝上の短いスカートをはいておられる女性もたまにいます。さすがにヤマで短いスカートで、膝腿むき出しというのはまずいと思われるのか、
そういう方はタイツをはいておられます。
しかし、それなら別に、最初からズボンはけば良くないか???と思うのです。
つまり、腰巻+タイツというチョイスは、ズボンというチョイスに対して何ら優位性を持たないとおもうのです。だったらあっさりズボンにしたほうが、話が早いと思うのです。
つまり、ヤマでの服装として、敢えてスカートを選ぶ理由は、機能面や安全面では思い当たりません。履いても別にいいだろうとは思いますが、敢えてそれを選ぶ理由はない。
まあ、スカートというものは、本来的には女性性をアピールするものですから、何らかの形で女性性をアピールしたい方には向くのかもしれません。
しかし、です。わざわざ、ヤマで、女性性をアピールする意味がありますかね。
いや、アピールすることが、悪いとは言いません。でも、そういうことは、別に、命の危険のない、下界で、しゃなりしゃなりとおやりになった方が良いのではないかと思います。下界の方がよほど、そのようなアピールに、ふさわしい場ではないでしょうか。
というわけで、わたしゃ山でスカートをはくことは、自分は、一生ないだろうと思います。
ただ、私にあったことのある方はご存じかも知れないが、わたしゃ下界ではワンピースを着ます。それは、ずばり、楽だからです。
あれは、頭からかぶれば、三秒で、着替えが完結するという素晴らしいもので、何も考えなくていいのです。私は頭の容量が小さいので、着替えに回す分の思考回路は、ありません。
ただ、それは、下界だからです。その下界でさえ、スカートをはいて駅の階段を二段とばしで駆け上がろうとすると、難があります。
ましてや、ヤマにおいてをや。です。ねえ。
それが、ヤマをなめていると批判されたとか、
いやそれはトレイルスカートというものだ、トレイルスカートも知らないくせに批判なんてするなボケとか、
そういう、ネット上での話題を見て、つくづくと考えてみました。
別にヤマに登るのに決まった服装があるわけではありません。
なるべく安全で快適な服装で登れば、それでいいと思います。
私はヤマにスカートをはいて登ったことはありませんが、この話を聞いて、ヤマでスカートをはいたらどうなるか、ということをつらつらと考えてみましたが、結論としては、自分がヤマでロングスカートをはくかというと絶対にはかないだろうと思います。
前提として、岩や沢や雪山で、ロングスカートはあり得ない(ハーネスがはけない以上当然)ので、夏季の一般縦走路で考えてみます。
ひとつは、ロングスカートだと、fある程度の斜度の登降のときに裾を踏んで転倒する危険があるし、すれ違いの時にはすれ違う相手にも迷惑であるし、
また、足元が見えにくくなり転倒の危険もある。
また、何か不慮の事態が発生して、
いざ、ビバークって時にスカートだと、どこにでも勝手に寝っ転がれるって訳にもいかなさそうだし、だいたい、寒そうです。
何よりも、落ちたときにどうなるか、というと、まあ2メートルでもゴロゴロと落ちたら間違いなくスカートはまくれ上がってパンツ丸出しになるだろうし、
そうなると、それで動けない状態になったら、パンツ丸出しのままで救助を待つんか。。。ということになり、いや、それはちょっと、ヤマヤの落ち方としてどうなのかと思うのであります。
ちょっと、それはさすがにみっともないかなと。救助隊もたじたじでしょう。
まあ、自分は絶対急な登下降はしないし、転倒もしないし、落ちないし、ビバークもしない!
だからどうしてもスカートで登る!
というならそれはそれで、どうぞ、という話だと思います。
しかし、人間、意外とどこでも落ちられるもんですからね。高尾山でさえ、落ちる人はいるもんで。そういう意識は、持っておいた方がいいかなと。
なお、ヤマで、ロングではなく、腰巻みたいな、膝上の短いスカートをはいておられる女性もたまにいます。さすがにヤマで短いスカートで、膝腿むき出しというのはまずいと思われるのか、
そういう方はタイツをはいておられます。
しかし、それなら別に、最初からズボンはけば良くないか???と思うのです。
つまり、腰巻+タイツというチョイスは、ズボンというチョイスに対して何ら優位性を持たないとおもうのです。だったらあっさりズボンにしたほうが、話が早いと思うのです。
つまり、ヤマでの服装として、敢えてスカートを選ぶ理由は、機能面や安全面では思い当たりません。履いても別にいいだろうとは思いますが、敢えてそれを選ぶ理由はない。
まあ、スカートというものは、本来的には女性性をアピールするものですから、何らかの形で女性性をアピールしたい方には向くのかもしれません。
しかし、です。わざわざ、ヤマで、女性性をアピールする意味がありますかね。
いや、アピールすることが、悪いとは言いません。でも、そういうことは、別に、命の危険のない、下界で、しゃなりしゃなりとおやりになった方が良いのではないかと思います。下界の方がよほど、そのようなアピールに、ふさわしい場ではないでしょうか。
というわけで、わたしゃ山でスカートをはくことは、自分は、一生ないだろうと思います。
ただ、私にあったことのある方はご存じかも知れないが、わたしゃ下界ではワンピースを着ます。それは、ずばり、楽だからです。
あれは、頭からかぶれば、三秒で、着替えが完結するという素晴らしいもので、何も考えなくていいのです。私は頭の容量が小さいので、着替えに回す分の思考回路は、ありません。
ただ、それは、下界だからです。その下界でさえ、スカートをはいて駅の階段を二段とばしで駆け上がろうとすると、難があります。
ましてや、ヤマにおいてをや。です。ねえ。
2023年10月20日
弁護士が、やる気を出すとき、失うとき
どんな人でも、どんな仕事でも、①やる気を出すとき、②普通に処理するとき、③やる気がないとき、というのはあると思いますが、もちろん弁護士にだってこの3タイプはあります。
弁護士の場合特殊なのは、職務の遂行にあたって、裁量の幅が非常に大きいので、①、、②、③、の間の幅が非常に大きくなるところです。
つまり、やる気があるとき(やる気がある事件)とやる気がないとき(やる気がある事件)との差がめちゃめちゃ激しい。
担当弁護士が、「この事件は、何としても少しでもお客さんを楽にしてあげたい」「この事件は何としても勝ちたい」「何としてもこれだけは裁判所に認めてもらわなくてはおかしいだろ」、という、熱い思いをもっていれば、メールの返事も早くなりますし、教えなくていいこと(教えてあげた方が丁寧だが、教えてあげる義務はないこと)まで教えますし、本来ならかけなくてもよい電話でもかけます。調べものも熱心に調べる。
一方、弁護士も人間ですから、やる気のない事件というのは、ぶっちゃけ、あります。もちろん、お金をいただいて、職務としてやる以上、やるべきことはやります。しかし、それ以上のことは、やらない。頼まれても、委任の範囲外ならやらない。必要十分な作業は行うがそれ以上は行わない。という事件です。
では、どういうときにそうなるか。
一番よくあるのが離婚事件で、「ああ、これじゃあ、相手(依頼者の旦那さんなり、奥さんなり)も、離婚したくなっちゃうよなあ」「これじゃあ、大変な結婚生活だっただろうなあ」と思ってしまうときです。
離婚事件のさなかにある方は、皆さんとても傷ついていて、つらい。そういう時人間はわがままになりがちですし、誰かにあたりちらしたくなるものです。お客さんのそういう精神状態を受け入れるのは弁護士の仕事でもあります。
しかし、それを十分に差し引いても、いくらなんでもそれは我がままというものでしょう。と言いたくなる。こういう時には、動きが鈍くなりがちです。
もう一つが、委任の範囲ではないことを、無料でやれ、と当然のように言われるときです。これは、弁護士としてはテンションが大きく落ちます。ただ働きをせよと言われれているのと同じ(それは、馬鹿にされているのと同じ)ですし、それは、我々の仕事について、カネを払う価値のあるものと認めていただいていない。ということにもなるからです。そういわれると、「委任の範囲外のことは、やらないからね」というモードに入ってしまうんです。
「これは委任の範囲外だと思うんですけれども…」とおっしゃっていただければ、いいんです。ああ、判ってくださってるんだな。とおもいます。ですが、当然のようにやれと言われると、こちらもムッとするわけです。
まあ、そもそもが事件に対してやる気のない弁護士、というもいます。弁護士同士で呑んだり話をしたりしていても、いつも事件や仕事の愚痴ばかりを言っている。この人何が楽しくて弁護士やってんだろ、とおもってしまうようなひとです。こういう人に頼んではいけません。本当に手を動かしてくれません。
たいがいの弁護士は、弁護士になりたくてなって、好きで弁護士をやっています。なので、たいていの事件には、やる気があります。
お客さんが多少わがままでも、ある意味馴れていますから、受け入れられます。
あと、お客さんに、多少のウソをつかれても、別にやる気には影響しません。弁護士であれば、お客さんが、必ずしも本当のことを言っているとは限らない、というのは、そもそも事件を受けるときの前提として、理解しているからです。むしろ、嘘をついていても、あとから「先生、実は…」と言ってもらえれば、ご信頼に感謝こそすれ、やる気を失うことはありません。
私も多数事件を持っていますが、本当に「やる気がなくなる」事件というのは、数年に1件くらいです。ですが、あることはあります。そしてそのモチベーションは、事件の結果や、お客さんの満足度に間違いなく影響を及ぼします。
お客さんが感情的になること、わがままになること、これはお客さんの権利だと私は思います。弁護士だって自分が離婚するときには感情的になるもんです。
ただ、度が過ぎてはいけません。弁護士も人間です。そしてあなたの弁護士がやる気を失ったら、それは確実に、あなたに不利益をもたらすでしょう。最初からやる気のない弁護士であれば、また、話は違いますが。。。。
弁護士の場合特殊なのは、職務の遂行にあたって、裁量の幅が非常に大きいので、①、、②、③、の間の幅が非常に大きくなるところです。
つまり、やる気があるとき(やる気がある事件)とやる気がないとき(やる気がある事件)との差がめちゃめちゃ激しい。
担当弁護士が、「この事件は、何としても少しでもお客さんを楽にしてあげたい」「この事件は何としても勝ちたい」「何としてもこれだけは裁判所に認めてもらわなくてはおかしいだろ」、という、熱い思いをもっていれば、メールの返事も早くなりますし、教えなくていいこと(教えてあげた方が丁寧だが、教えてあげる義務はないこと)まで教えますし、本来ならかけなくてもよい電話でもかけます。調べものも熱心に調べる。
一方、弁護士も人間ですから、やる気のない事件というのは、ぶっちゃけ、あります。もちろん、お金をいただいて、職務としてやる以上、やるべきことはやります。しかし、それ以上のことは、やらない。頼まれても、委任の範囲外ならやらない。必要十分な作業は行うがそれ以上は行わない。という事件です。
では、どういうときにそうなるか。
一番よくあるのが離婚事件で、「ああ、これじゃあ、相手(依頼者の旦那さんなり、奥さんなり)も、離婚したくなっちゃうよなあ」「これじゃあ、大変な結婚生活だっただろうなあ」と思ってしまうときです。
離婚事件のさなかにある方は、皆さんとても傷ついていて、つらい。そういう時人間はわがままになりがちですし、誰かにあたりちらしたくなるものです。お客さんのそういう精神状態を受け入れるのは弁護士の仕事でもあります。
しかし、それを十分に差し引いても、いくらなんでもそれは我がままというものでしょう。と言いたくなる。こういう時には、動きが鈍くなりがちです。
もう一つが、委任の範囲ではないことを、無料でやれ、と当然のように言われるときです。これは、弁護士としてはテンションが大きく落ちます。ただ働きをせよと言われれているのと同じ(それは、馬鹿にされているのと同じ)ですし、それは、我々の仕事について、カネを払う価値のあるものと認めていただいていない。ということにもなるからです。そういわれると、「委任の範囲外のことは、やらないからね」というモードに入ってしまうんです。
「これは委任の範囲外だと思うんですけれども…」とおっしゃっていただければ、いいんです。ああ、判ってくださってるんだな。とおもいます。ですが、当然のようにやれと言われると、こちらもムッとするわけです。
まあ、そもそもが事件に対してやる気のない弁護士、というもいます。弁護士同士で呑んだり話をしたりしていても、いつも事件や仕事の愚痴ばかりを言っている。この人何が楽しくて弁護士やってんだろ、とおもってしまうようなひとです。こういう人に頼んではいけません。本当に手を動かしてくれません。
たいがいの弁護士は、弁護士になりたくてなって、好きで弁護士をやっています。なので、たいていの事件には、やる気があります。
お客さんが多少わがままでも、ある意味馴れていますから、受け入れられます。
あと、お客さんに、多少のウソをつかれても、別にやる気には影響しません。弁護士であれば、お客さんが、必ずしも本当のことを言っているとは限らない、というのは、そもそも事件を受けるときの前提として、理解しているからです。むしろ、嘘をついていても、あとから「先生、実は…」と言ってもらえれば、ご信頼に感謝こそすれ、やる気を失うことはありません。
私も多数事件を持っていますが、本当に「やる気がなくなる」事件というのは、数年に1件くらいです。ですが、あることはあります。そしてそのモチベーションは、事件の結果や、お客さんの満足度に間違いなく影響を及ぼします。
お客さんが感情的になること、わがままになること、これはお客さんの権利だと私は思います。弁護士だって自分が離婚するときには感情的になるもんです。
ただ、度が過ぎてはいけません。弁護士も人間です。そしてあなたの弁護士がやる気を失ったら、それは確実に、あなたに不利益をもたらすでしょう。最初からやる気のない弁護士であれば、また、話は違いますが。。。。
2023年10月04日
Traversée des Drus ~ ドリュトラバース登攀記
もう2か月半も前のことになりますが、今年の夏休みは、 ヨーロッパアルプスで Traversée des Drus というルートを登ってきました。
ドリュは、まあ、ヤマを登る人なら知らない者はいないでしょう。エギーユ・ド・ベルテの前衛峰にあたる、でっかい壁をもった針峰です。
初日、シャモニから電車でモンタンベールまで、そこから氷河を通ってシャラポワ小屋に泊まります。優しい女性が切り盛りしている小さい小屋です。
そこから、二日目、朝5時に小屋を出て、1時間半ほどでとりつきでしょうか。そこから延々と、800mの垂直の壁を登ります。
やっとたどり着いたところは、petit Drus の頭にあたります。そこからいったん降りて、Grandes Drusに登り返すのです。
日本で言うと、小仙丈岳、大仙丈岳、が、壁になったみたいな感じ、といえばわかるでしょうか。
もう、petit Drus についた段階でヘロヘロなのに、その先のGrandes Drus を登るのが本当にきつかったです。特に最後は大きなクラックで、クラックをほとんどやらない私には核心でした。
頂上に着いた段階で16時すぎ。そこから15ピッチ懸垂して戻り、氷河を歩いて小屋に戻ったのは2130過ぎでした。ヨーロッパはまだこの時間でも明るくて助かりました。
痺れました。日本人でドリュを登る人は、数年に一人でしょう。
そのような壁を登りきれたのは、いままで、私を教えてきてくださった先輩方、私と登ってくれた山岳会の、そしてそれ以外の仲間たち、私の登攀を支えてくれる家族、理解ある事務所のスタッフ、私にかかわってくださった多くの方々のおかげです。
皆さんなしには登れませんでした。心から感謝しています。

ドリュは、まあ、ヤマを登る人なら知らない者はいないでしょう。エギーユ・ド・ベルテの前衛峰にあたる、でっかい壁をもった針峰です。
初日、シャモニから電車でモンタンベールまで、そこから氷河を通ってシャラポワ小屋に泊まります。優しい女性が切り盛りしている小さい小屋です。
そこから、二日目、朝5時に小屋を出て、1時間半ほどでとりつきでしょうか。そこから延々と、800mの垂直の壁を登ります。
やっとたどり着いたところは、petit Drus の頭にあたります。そこからいったん降りて、Grandes Drusに登り返すのです。
日本で言うと、小仙丈岳、大仙丈岳、が、壁になったみたいな感じ、といえばわかるでしょうか。
もう、petit Drus についた段階でヘロヘロなのに、その先のGrandes Drus を登るのが本当にきつかったです。特に最後は大きなクラックで、クラックをほとんどやらない私には核心でした。
頂上に着いた段階で16時すぎ。そこから15ピッチ懸垂して戻り、氷河を歩いて小屋に戻ったのは2130過ぎでした。ヨーロッパはまだこの時間でも明るくて助かりました。
痺れました。日本人でドリュを登る人は、数年に一人でしょう。
そのような壁を登りきれたのは、いままで、私を教えてきてくださった先輩方、私と登ってくれた山岳会の、そしてそれ以外の仲間たち、私の登攀を支えてくれる家族、理解ある事務所のスタッフ、私にかかわってくださった多くの方々のおかげです。
皆さんなしには登れませんでした。心から感謝しています。

2023年09月25日
京アニ事件刑事裁判の報道を見て思うことなど
京アニ事件の公判(刑事事件では裁判のことを公判と言います)が始まり、報道も盛んになされています。
青葉被告の発言も報じられ、なかなか、一般人の神経を逆なでするようなことも仰っており、
「これで心神喪失(心神耗弱?)を主張する弁護士はどうなんだ」というようなことを皆さんおっしゃっていますが、
まあ、私は、この弁護人の先生に敬意を表します。そして、同情もします。
まず、同じ立場なら私だって心神喪失・心神耗弱は主張すると思いますよ。ええ。
だって、ほかに弁護できること、ないもん。
犯行理由は身勝手だし、反省も、あんまりしていないみたいですし、前科はあるし。。。。。
となると、弁護士としてはもう、心神喪失、心神耗弱をいうほかないんです。
そして、それは仕事なんで、自分が内心どう思っていようとも、それはそういいますよ。仕事ですもん。
それを言うと、世間から一斉に非難されることくらい、この弁護人の先生は当然ご存じでしょう。それを承知できちんと仕事をしておられるのですから、
これは敬服します。大変なお仕事です。
あと、彼の発言を報道から追っていくと、「あ~~~~、ソレ言っちゃダメでしょ」「ソレ言わないでよ!」と弁護人としては思ってしまうことをたくさんおっしゃっており、
まあ、恐らく弁護人の先生は、彼がそういう発言をすることは覚悟されているでしょうけれども、やはり内心がっくり来る、ということも、おありなのではないかなと推察します。。。
当然国選弁護でしょう。つまり、大したカネはもらえないのに、この大変な裁判。大変なお仕事。
誰か存じ上げませんが、お疲れ様でございます。めっちゃ長い審理計画で、この先も大変かと思いますが、お身体第一に闘われてくださいますよう。。。。
青葉被告の発言も報じられ、なかなか、一般人の神経を逆なでするようなことも仰っており、
「これで心神喪失(心神耗弱?)を主張する弁護士はどうなんだ」というようなことを皆さんおっしゃっていますが、
まあ、私は、この弁護人の先生に敬意を表します。そして、同情もします。
まず、同じ立場なら私だって心神喪失・心神耗弱は主張すると思いますよ。ええ。
だって、ほかに弁護できること、ないもん。
犯行理由は身勝手だし、反省も、あんまりしていないみたいですし、前科はあるし。。。。。
となると、弁護士としてはもう、心神喪失、心神耗弱をいうほかないんです。
そして、それは仕事なんで、自分が内心どう思っていようとも、それはそういいますよ。仕事ですもん。
それを言うと、世間から一斉に非難されることくらい、この弁護人の先生は当然ご存じでしょう。それを承知できちんと仕事をしておられるのですから、
これは敬服します。大変なお仕事です。
あと、彼の発言を報道から追っていくと、「あ~~~~、ソレ言っちゃダメでしょ」「ソレ言わないでよ!」と弁護人としては思ってしまうことをたくさんおっしゃっており、
まあ、恐らく弁護人の先生は、彼がそういう発言をすることは覚悟されているでしょうけれども、やはり内心がっくり来る、ということも、おありなのではないかなと推察します。。。
当然国選弁護でしょう。つまり、大したカネはもらえないのに、この大変な裁判。大変なお仕事。
誰か存じ上げませんが、お疲れ様でございます。めっちゃ長い審理計画で、この先も大変かと思いますが、お身体第一に闘われてくださいますよう。。。。
2023年09月21日
いかにしてふるさとを応援するか。
突然ですが、私は、北海道士別市というところの、ふるさと応援大使、というものをさせていただいています。
なので、なんとかして、士別市をPRしたいのですが、いったいどうやってPRしたらいいのかが、何回考えても判りません。
本来であれば、アレです、インスタとかフェイスブックとかでね、士別市の良い風景とかおいしいものの写真をアップしたりするのが一番いいんでしょうが、いかんせん、私は写真が苦手なのです。大いに苦手です。このブログにほとんど写真が登場しないことからも、お判りいただけるかと思いますが。。。。
とはいえ、せっかく任命していただいたのですから、やはりなにかしなきゃ申し訳がたちません。まあ、ふるさと納税はしていますが、それくらい、士別市出身の人ならだれでもするでしょうしねえ。
というわけで、一応、ここで、士別をちょこちょこPRさせていただこうかな、と思いました。
士別市は、道北にあります。旭川と、稚内の間、と言ったら、北海道に土地勘がないひとでも大体の位置は判るかもしれません。
ひとは、あたたかくて、野菜はおいしいですし、温泉もあり、牧場もあり、北海道らしい広々とした、おおらかな景色が広がっています。いいところです。
興味を持った方は、ぜひ、士別に行ってみてください。
え、いきなり北海道いくの、それはハードル高すぎだろ、と思われる方は、士別のふるさと納税の返礼品でも見てみてください。おすすめは、①羊籠包、②士別産ラム肉のジンギスカン、③野菜ジュースとサムライクラフトビールが同順位で3位、
です。あくまでも野島個人の好みでしかありませんが、気に入っていただけると嬉しいです。
なので、なんとかして、士別市をPRしたいのですが、いったいどうやってPRしたらいいのかが、何回考えても判りません。
本来であれば、アレです、インスタとかフェイスブックとかでね、士別市の良い風景とかおいしいものの写真をアップしたりするのが一番いいんでしょうが、いかんせん、私は写真が苦手なのです。大いに苦手です。このブログにほとんど写真が登場しないことからも、お判りいただけるかと思いますが。。。。
とはいえ、せっかく任命していただいたのですから、やはりなにかしなきゃ申し訳がたちません。まあ、ふるさと納税はしていますが、それくらい、士別市出身の人ならだれでもするでしょうしねえ。
というわけで、一応、ここで、士別をちょこちょこPRさせていただこうかな、と思いました。
士別市は、道北にあります。旭川と、稚内の間、と言ったら、北海道に土地勘がないひとでも大体の位置は判るかもしれません。
ひとは、あたたかくて、野菜はおいしいですし、温泉もあり、牧場もあり、北海道らしい広々とした、おおらかな景色が広がっています。いいところです。
興味を持った方は、ぜひ、士別に行ってみてください。
え、いきなり北海道いくの、それはハードル高すぎだろ、と思われる方は、士別のふるさと納税の返礼品でも見てみてください。おすすめは、①羊籠包、②士別産ラム肉のジンギスカン、③野菜ジュースとサムライクラフトビールが同順位で3位、
です。あくまでも野島個人の好みでしかありませんが、気に入っていただけると嬉しいです。
2023年09月19日
人間は、95%の感情と5%の理性でできている、ということ
人間は考える葦である、というのは、尊い言葉です。人間性とはなんぞや、というものを、考えさせられます。
が、事件をやっていてシミジミ思うのは、人間は理性の生き物ではない。感情の生き物だ。ということです。判断の95%は、感情に左右されます。
例えば、交通事故などでも、事故直後にかける言葉、取る対応ひとつで、事件が円満のうちに解決するか、大揉めに揉めるか、全く違ってきます。
ひとは、自分に同情してくれているひとには、激しい怒りを覚えないことが多いからです。
人間は、感情の生き物である。自分もまた、そうである。ということを、計算に入れたうえで、理性的に行動する。
おそらくこれが、人生において賢い選択をする秘訣です。
ですが、まあ、なかなかそうはならないものであります。
人間は感情で動くものですからね。
が、事件をやっていてシミジミ思うのは、人間は理性の生き物ではない。感情の生き物だ。ということです。判断の95%は、感情に左右されます。
例えば、交通事故などでも、事故直後にかける言葉、取る対応ひとつで、事件が円満のうちに解決するか、大揉めに揉めるか、全く違ってきます。
ひとは、自分に同情してくれているひとには、激しい怒りを覚えないことが多いからです。
人間は、感情の生き物である。自分もまた、そうである。ということを、計算に入れたうえで、理性的に行動する。
おそらくこれが、人生において賢い選択をする秘訣です。
ですが、まあ、なかなかそうはならないものであります。
人間は感情で動くものですからね。
2023年09月13日
結婚はいつでもできるが、離婚はいつでもできるわけではない。
離婚したい、とおっしゃって、離婚調停、離婚訴訟、と進みながらも「これで本当にいいのだろうか??」と迷いが生じる方はたくさんいらっしゃいます。
特に、お子さんのいるお母さんは、「子どものために、やはり離婚しない方がいいのだろうか…」などと迷われることがあります。それは当然のことです。
特にお母さんが、子どもとお父さんとの面会交流にきちんと応じておられるケースで、お子さんが面会交流から帰ってきて、「楽しかった」「またパパと会いたいな」などと言ったりすると、お母さんは本当に悩まれます。
が、です。だからと言って、離婚訴訟や離婚調停を取り下げられることには、どうぞ慎重になってください。
それは、せっかく積み重ねてきた訴訟・調停手続きが「無駄」になるから、というだけではありません。
ひとは変わらないものです。もう一度元のさやに戻っても、人は変わりません。元のさやに戻ってうまくいくとすれば、それは相手が変わることを期待するのではなく、自分を変えなくてはなりません。相手の許しがたかったところを許し、全部受け入れ、文句を言わない、という覚悟が必要です。
「あのとき、手続きを取り下げずに、離婚しておけばよかった…」と後悔しても、覆水盆に返らず。です。
逆に、一度離婚しても、その後よりを戻す方はいます。特に、離婚後お子さんの面会交流を重ねるうちに、自分の意識も変わり、相手の意識も変わったことが確認できた後に、もう一度やり直そう、という機運が高まることはあります。
その時、再婚すればいいのです。
結婚は、一度離婚した後でもできます。特に苦労はいらない。
が、離婚は、いつでもできるわけではない。膨大な苦労と、金銭と時間を要するものです。
お迷いになることは自然です。ただ、一度始めた手続きを取り下げる、という判断は、慎重になさってください。それは、お子さんをもう一度悲しい目に会わせないためでもあります。
特に、お子さんのいるお母さんは、「子どものために、やはり離婚しない方がいいのだろうか…」などと迷われることがあります。それは当然のことです。
特にお母さんが、子どもとお父さんとの面会交流にきちんと応じておられるケースで、お子さんが面会交流から帰ってきて、「楽しかった」「またパパと会いたいな」などと言ったりすると、お母さんは本当に悩まれます。
が、です。だからと言って、離婚訴訟や離婚調停を取り下げられることには、どうぞ慎重になってください。
それは、せっかく積み重ねてきた訴訟・調停手続きが「無駄」になるから、というだけではありません。
ひとは変わらないものです。もう一度元のさやに戻っても、人は変わりません。元のさやに戻ってうまくいくとすれば、それは相手が変わることを期待するのではなく、自分を変えなくてはなりません。相手の許しがたかったところを許し、全部受け入れ、文句を言わない、という覚悟が必要です。
「あのとき、手続きを取り下げずに、離婚しておけばよかった…」と後悔しても、覆水盆に返らず。です。
逆に、一度離婚しても、その後よりを戻す方はいます。特に、離婚後お子さんの面会交流を重ねるうちに、自分の意識も変わり、相手の意識も変わったことが確認できた後に、もう一度やり直そう、という機運が高まることはあります。
その時、再婚すればいいのです。
結婚は、一度離婚した後でもできます。特に苦労はいらない。
が、離婚は、いつでもできるわけではない。膨大な苦労と、金銭と時間を要するものです。
お迷いになることは自然です。ただ、一度始めた手続きを取り下げる、という判断は、慎重になさってください。それは、お子さんをもう一度悲しい目に会わせないためでもあります。
2023年08月02日
卓球と連れ去りと共同親権
卓球選手の彼女の件で、共同親権導入論がまた盛り上がっているようですが、
忘れてはいけないのは、
我が国で一番「連れ去り」が問題になるのは、婚姻中に別居が開始されるとき(どちらかが出ていくときに子どもを連れていく)で、
その段階では、モロ、共同親権なんですよね。
だから共同親権にしたら、連れ去りとかそういう問題が一挙に解決するっていうのは、それは幻想だとわたしゃ思います。
卓球の彼女の場合はもう離婚後ですからね、たしかに共同親権論が出てくるのは間違ってない。
でも、連れ去りとか片親疎外と言われる問題の核心は、その時点ではモロに共同親権なんで(離婚前ですからね)、親権というものが役に立たん、というところにあるわけです。
まあ、しかし、アレです。
あの少女だった彼女が、不倫とか、離婚とか、連れ去りとかで話題になるような大人の女性になったのかと思うと、
まあ、こっちもババアになるわけです。当然ですな。感慨深い。
忘れてはいけないのは、
我が国で一番「連れ去り」が問題になるのは、婚姻中に別居が開始されるとき(どちらかが出ていくときに子どもを連れていく)で、
その段階では、モロ、共同親権なんですよね。
だから共同親権にしたら、連れ去りとかそういう問題が一挙に解決するっていうのは、それは幻想だとわたしゃ思います。
卓球の彼女の場合はもう離婚後ですからね、たしかに共同親権論が出てくるのは間違ってない。
でも、連れ去りとか片親疎外と言われる問題の核心は、その時点ではモロに共同親権なんで(離婚前ですからね)、親権というものが役に立たん、というところにあるわけです。
まあ、しかし、アレです。
あの少女だった彼女が、不倫とか、離婚とか、連れ去りとかで話題になるような大人の女性になったのかと思うと、
まあ、こっちもババアになるわけです。当然ですな。感慨深い。