2025年04月11日

弁護士になってよかったこと。

この仕事をしていてよかったな、と思えることの一つに、
平凡につつがなく人生を生き抜くことの偉大さを痛感できる、という点があります。


普通の人間が、ほんのちょっとした、どこにでもあるような誘惑に負け、道を踏み外していく。最後は刑務所や路上で一生を終える。「一流」大学卒、「一流」企業のサラリーマンだった、という人もその中には少なくありません。

その人生の流れを間近に観察していると、日々、すぐそこにある誘惑に負けずに、地道に誠実に1日1日を終えていくことが、それだけでいかに偉大か、と痛感する。とかく、平凡な日常というものは薄いベールに過ぎません。すぐ、裂けてしまうものなんです。


しかし振り返って思えば、ウチのオヤジは、短気で頑固で我がままで、何かと言えばすぐに怒鳴り散らし、本当に、我が父ながら大変扱いにくい、大変な癇癪もちでしたが、

しかし、彼だって、北海道の田舎から出てきて以来、特に目立つ悪いこともせず(いや、少しは良からぬこともしたでしょう。昭和の時代、パワハラもセクハラもいかにもしそうです。が、ともかく大事なく)、

勤めを続け、退職することも解雇されることもなく、二人の娘を大学まで出し、住宅ローンも完済し、定年まで勤めあげて無事に退職金を得て、何はともあれ今は、平穏にリタイヤ生活を送っております。
それだけで恐ろしく偉大なことです。父よ、あなたは偉かった。

と同時に、我が父という社員を馘にもせずに、新卒から定年まで雇ってくれた某金融機関はもっとえらい。マジ感謝です。さぞ扱いにくい社員だったのではないでしょうか。ほんと、お疲れ様でございます。

なんのご縁か、私は、この、父が勤めていた金融機関本社ビル(東京に出てきてすぐ父がお世話になった建物)があった地のま隣に、いま、事務所を構えています。父と同じ経路で、いま、通勤しているんです。毎朝、新宿の駅を出て、感慨深いものがあります。我が父もこうやってここを歩いて通勤し、給与を得て、家庭に持ち帰ってくれていたのか。。。。と。

毎朝、父の勤務先であった某金融機関に手を合わせて拝む思いです。もちろん、我が父にも、ですが。