2021年06月17日
不幸に向かって全力でダイブしてしまう人々
なぜ、人は紛争を解決したいと思うのか。というと、それは、紛争があると不安でイライラして、不幸だからです。
紛争を解決して、安心して、幸せになりたい。だから弁護士を頼まれるわけです。
つまり弁護士稼業は、紛争解決が目的ではありますが、それは「幸せになりたい」というお客さんの究極の目的の実現を、お手伝いする一助に過ぎないわけです。紛争が解決してもお客さんが不幸だとすると、それはお手伝いしたこちらとしても、とても、、残念です。
ところが世の中には、頭のどこかでは幸せになりたい、と願いながら、なぜかとる行動、とる行動、すべてが不幸に直結する行動ばかりを選んでしまう方がいます。
なぜそうなるか、私が見る限り、最大の問題は「意地」と「くだらない自己満足」です。くだらない自己満足とは、「言い返してやった」とか、「やり返してやった」という自己満足です。
こういう自己満足っておいしいのか、というと、全く美味しくありません。言い返したところで1ミリも得にならないし、解決は遠のく。ただ、一瞬、「やってやった」と思ってすっきりする、だけで、実は泥沼的不幸に向かって全力でダイブしていくにほかなりません。
なので、弁護士としては、紛争解決をお手伝いする身としても、幸せになっていただくお手伝いをする身としても、、何としてもこういうダイブはしていただきたくない。けれども、ご本人は、ダイブしたくてしたくてたまらない。
そこで、色々申し上げて、判っていただけない時は、本当に、弁護士力の不足というか、至らなさというか、不徳の致すところ、と痛感します。
でもね、幸せになっていただきたいんですよね。そのためにお金頂いてるんですからね。事件はどんな事件だってかわいいし、思い入れもありますからね。ただ、我々、お客さんをふんじばって幸せにすることはできない。お客さんに、幸せはこっちですよ、ということはできますが、それを選ぶかどうかはお客さん次第なのでね。
紛争を解決して、安心して、幸せになりたい。だから弁護士を頼まれるわけです。
つまり弁護士稼業は、紛争解決が目的ではありますが、それは「幸せになりたい」というお客さんの究極の目的の実現を、お手伝いする一助に過ぎないわけです。紛争が解決してもお客さんが不幸だとすると、それはお手伝いしたこちらとしても、とても、、残念です。
ところが世の中には、頭のどこかでは幸せになりたい、と願いながら、なぜかとる行動、とる行動、すべてが不幸に直結する行動ばかりを選んでしまう方がいます。
なぜそうなるか、私が見る限り、最大の問題は「意地」と「くだらない自己満足」です。くだらない自己満足とは、「言い返してやった」とか、「やり返してやった」という自己満足です。
こういう自己満足っておいしいのか、というと、全く美味しくありません。言い返したところで1ミリも得にならないし、解決は遠のく。ただ、一瞬、「やってやった」と思ってすっきりする、だけで、実は泥沼的不幸に向かって全力でダイブしていくにほかなりません。
なので、弁護士としては、紛争解決をお手伝いする身としても、幸せになっていただくお手伝いをする身としても、、何としてもこういうダイブはしていただきたくない。けれども、ご本人は、ダイブしたくてしたくてたまらない。
そこで、色々申し上げて、判っていただけない時は、本当に、弁護士力の不足というか、至らなさというか、不徳の致すところ、と痛感します。
でもね、幸せになっていただきたいんですよね。そのためにお金頂いてるんですからね。事件はどんな事件だってかわいいし、思い入れもありますからね。ただ、我々、お客さんをふんじばって幸せにすることはできない。お客さんに、幸せはこっちですよ、ということはできますが、それを選ぶかどうかはお客さん次第なのでね。