2023年12月14日

裁判官の「心証」

弁護士からすると、裁判官というのは本当に難物です。

なぜなら、裁判官が何を考え、何を重視し、どう判断するのか、というのは、弁護士にとって、事件の勝敗を決する重要事項であるにもかかわらず、
それを推し量ることが甚だ難しいからです。


我々からすると、できるだけ、「自分の考え方」=「裁判所の考え方」であってほしいわけです。事件の筋についても、証拠の評価についても、訴訟の進め方についても、ともかく、自分の考え方と裁判所の考え方が、あっていてほしい。
ここでいう「考え方」というのは、「心証」ともいいます。裁判所の、その時点における、事件に対する「まあ、こうだろうなあ」という評価ですね。

なので、この事件は勝てるだろうとか、敗けるだろうとか、これくらいが落としどころだろうとか、この証言は嘘だろうとか、
まあ、そういういろいろな点に関する自分の心証が、裁判所の心証と一緒だったりするととてもうれしい。自分の見立てがあってたってことになりますからね。

逆に、裁判所から開示された心証が、自分の心証と違ったりすると、がっかりし、何が足りなかったんだろう、どうやったらこの心証をもっと自分よりに寄せられるだろうか。。。。。。などと悩むわけです。

先日、もう長いこと闘っている訴訟で、私の相手方が、ある手を打ってきました。
私からすると、もう、今までこんなに長いことやってきて、いまさらこんな手を打ってくるなんて、なんというか趣味悪いというか、いま、このタイミングで、その手、使う??それって、センス悪くない???

という手で、

まあ、相手がどういう手を使おうとそれが法律の範囲内である限りこちらは文句を言えないわけですけれども、甚だ不愉快だなあ、という手だったわけです。

そうやってもやもやしていたところ、その事件の担当裁判官がお電話くださいまして、「こういう手が出てきましたけども、どうします?」と聞いてくださったので、おもわず、いや、このタイミングでこんな手を打ってくるなんて、なんというか、何考えてるんですかねえ。。。。

と、ちょっと愚痴めいたことを申し上げたところ、裁判官が、

「ま、この事案で、このタイミングで、この手を打ってくるっていうのは、ダサいですよね」

とさらっとおっしゃってくれて、思わず笑ってしまいました。

こんなことでも、裁判所と自分の心証があまり違っていなかったことが判って、ちょっと嬉しかったのです。ああ、やっぱり、こういう手段について快く思ってはいらっしゃらないんだな。と。