婚姻について語る時に私が語ること。

nojimarie

2021年06月01日 17:09

時々、婚姻したいんですう、という若い方とお話をすることがあります。

結婚したいんです、という話を弁護士にされても、わたしゃ離婚については、それはいくらでも語れますが、婚姻についてはなにほどの経験もあるわけではないし、幸せな結婚生活を送っている人は私のところには来ないわけで、不幸な結婚生活については山ほど扱ってきましたし、いくらでも語れても、「幸せな結婚生活」について、語りえることは、まったくもって、ごく、わずかです。

ただ、婚姻というのは、それに伴って一定の債権債務が両当事者に発生する以上、明らかに、契約です。しかも相当程度に強い法的保護を与えられる契約であって、通常の契約のようにほいほい解除できるわけではない、にもかかららず、通常の契約とは違い、契約期間、というものがない、つまり、期間満了にて終了、という終了の方法は想定されていません。

つまり、エグジット(出口)の見えない契約です。そんな危険な契約は、まともな企業人なら当然躊躇するものであるのに、婚姻契約だけはなぜかそうはならない。

しかも、この契約は、人生の大部分を侵食します。これがまた、たとえば、業務上の契約であったり、金銭の貸し借りであったりするならば、それはそれで人生の一部分ではありますが、しかし、そこを切り取って、割り切って自分の人生を進めることもできる。

しかし婚姻契約は、衣食住のみならず感情の大部分、そしてプライベートのすべてを覆う契約なので、これにトラブルが生じると、日常生活自体が脅かされるわけです。
だから、仕事でうまくいかなくても、プライベート(家庭生活)がうまくいってさえいれば、人間どこかで幸せを感じることができるのですが、
つまり、プライベート(家庭生活)がうまくいっていなかったら、仕事がうまくいっていても十分に幸せを感じることができない。

それほど重大な契約であるのに、それがまた一時の熱情と性欲に支配され、かつ、思慮の浅い若者によって判断されることが多い、しかも婚姻が一種の契約であることさえ理解されないまま、婚姻に踏み切る人が多いわけで、それはまあ、解除に際してトラブルになるのも当然です。

ただ、失敗、トラブルが怖いからと言って婚姻しない、というのもそれはまた違うと言えます。他者と、一定の関係性を、長期間維持する、ということ自体は、人間の変容、成長をもたらします。

婚姻関係からエグジットすることができなければ、その婚姻関係を受容せざるを得ず、受容するためには、自分自身の考え方や在り方やこだわり、価値観を捨てたり、変容させなければならなくなる。それは、自己改革、成長につながります。

相手に価値観の変容を迫るだけではなく、自分もまたその価値観を変容させることができるか。相手だけに問うのではなく、自分にもまた問うことができるか。そこまでして婚姻関係を守ろう、という覚悟を固められるか。

婚姻関係は、愛情などと言ったふわふわしたものによるものではない。意思と覚悟とが支えるものでもある、ということは、これは、言える。と思います。